「奥三河の花祭って何?」という方のために

今年12月8日(土)、熊野本宮大社旧社地にて奥三河の花祭(おくみかわのはなまつり)の公演を行います。

奥三河の花祭って何という方のために、熊野三山協議会幹事や熊野歴史研究会事務局長、国際熊野学会常任委員などを務められる山本殖生先生がご著書『熊野 八咫烏』(原書房)のなかで奥三河の花祭について触れられている箇所があるので、それをここに引用します。

愛知県北設楽郡の各地で行われる修験道色の濃い湯立ての霜月神楽は、花祭ともよばれ、よく知られている。舞処(まいど)に釜を掛けて湯を沸かし、天井に湯蓋や切紙を飾り諸国の神々を勧請して行う。採物をもった花の舞や面をつけた榊鬼の舞などが繰り広げられる。火と水で地霊を鎮め、生命の予祝と生まれ清まりを願い、神を讃える歌があり、舞で地固めの反閇(へんばい)を踏み、湯立てで亡霊を鎮撫し、神を慰め幸福を祈るのである。
(山本殖生『熊野 八咫烏』原書房、269頁)

今回の花祭熊野公演開催にあたり、山本殖生先生からご協力をいただき、また熊野三山協議会さま、熊野歴史研究会さま、国際熊野学会さまからはご後援をいただいております。

熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年の時を経て、今年12月8日、熊野に里帰りします。その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

夜明けには1000羽の烏と現じて日本国をお守りになり

山本殖生先生のご著書『熊野 八咫烏』のなかで奥三河の花祭の史料が紹介されています(269頁)。愛知県東栄町小林の大屋地家文書の寛文8年(1668年)3月の「御崎祭文」。

その現代語訳に取り組みましたが、途中からわからなくなりました。

(上略)熊野権現へ申し上げたい。熊野権現は三国一の総持門(密教)と承っております。宵には9尺の熊と現じて鬼の田国をお守りになり、暁には8尺の虎と現じて仏性国をお守りになり、夜明けには1000羽の烏と現じて日本国をお守りになり、熊野権現の蘇民の子孫と申す者、痛難久、神九字を普羅ら瀬給しと申せども、天照大神の牛王1000枚、熊野権現の牛王1000枚、富士浅間の牛王1000枚、3000枚の牛王を申し下ろし、御手の指を喰い切り、身の血をあやめて、正八幡と若宮と起請文にお立ちになって、熊野権現の牛王は、蘇民子孫と申す者には痛難久当定事と致さないつもりならば、津嶋の沖と中荒原1000町、田1000町、沖も1000町、合わせて3000町の沖や御崎の位所に参じ馳せようとのお約束でございます。起請文の罰の当らぬ先に、速やかにお立ちください。喼々に敬いて申し上げます。
時に寛文8年申3月中旬
遠州気賀(現・静岡県浜松市北区細江町気賀) 武兵衛がこれを書く

途中からわからなくなりましたが、熊野権現の神威を説いていることは伝わってきます。宵には熊となり、暁には虎となり、夜明けには1000羽の烏となって日本国をお守りになる、と。

本祭文は、軍神、先導神であり、神の荒御霊を示す御崎神の追放過程を通して、熊野権現の威力を申し述べた祭文という。
(山本殖生『熊野 八咫烏』原書房、270頁)

とのことです。

今年12月8日(土)、熊野本宮大社旧社地大斎原にて熊野花祭を行います!
その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

花祭、熊野に帰る

編集工房レイヴンの原章(はら あきら)さまから花祭についての文章をご寄稿いただき、花祭熊野公演のチラシに掲載させていただきました。素敵な文章です。

花祭、熊野に帰る

月の花祭は一度体験すると一生忘れることはできない。
夕方から始まり、明くる日の夕方まで祈禱や奉納の舞が延々と続く。帰路、頭の中では「てーほへ、てほへ」というかけ声がエンドレスで流れ、目をつむると巨大な頭の榊鬼や山見鬼の姿、クライマックス「湯ばやし」のエクスタシーとも言える情景が現出する。
花祭は湯立神楽の一種とされる。釜で湯を沸かし、その湯を神霊に捧げ、その湯で場や集う人々を清める。神楽人は病気平癒や家内安全、極楽往生など人々の願いを成就させようと祈禱をし、舞を舞う。
その昔、熊野詣での人々は王子や本宮・新宮・那智で湯立を行って祈願し、神楽が舞われた。民俗学者の鈴木正崇氏によると、熊野信仰の中核には多義性に満ちた湯の信仰があり、修験者によって熊野の湯の信仰が全国各地に伝播したという。その大きな結実のひとつが花祭だ。
熊野から伝わった湯立神楽が、数百年後、熊野の大斎原に里帰りする。斎(ゆ)は湯に通じている。
<文:編集工房レイヴン 原 章>

編集工房レイヴンの原章さまのこれまでの編集のお仕事。

●単行本
龍村仁『地球のささやき』、
佐藤初女・宮迫千鶴『森のイスキアで話したこと』、帯津良一『養生という生き方』、龍村修『生き方としてのヨガ』、鎌田東二編著『謎のサルタヒコ』、同『平 安京のコスモロジー』、同『日本の聖地文化』、竹内正実『テルミン』、海野弘『モダン・シティふたたび』、山形政昭『ヴォーリズ建築の100年』、今中博 之『観点変更――なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか』、龍村光峯『錦――光を織る』、浄土宗監修『ともいきがたり』、『近江八幡教会百年史』、上田篤他『なつかしき未来「大阪万 博」』、橋爪紳也監修『写真集飛田百番』、『平野区誌』など200点余りの本を企画・編集。

●雑誌
別冊太陽『お神楽』『熊野』『出雲』『飛鳥』、
京都大学こころの未来研究センター学術広報誌『こころの未来』、
『モノ学・感覚価値研究』『身心変容技法研究』など雑誌スタイルの科研報告書。
http://netswest.org/members/editor/hara_akira

別冊太陽の『熊野』はとてもよい熊野本ですが、これも原さんが編集された本だったのですね。

熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年の時を経て、今年12月8日、熊野に里帰りします。その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

奥三河の花祭と折口信夫

熊野信仰が成立に関わる奥三河(愛知県北設楽郡一帯)の神事芸能、花祭。
奥三河の花祭に魅了されて通う者を「花狂い」と呼びますが、その1人に民俗学者の折口信夫がいました。

第26回南方熊楠賞を受賞された中沢新一先生の文章にそのことに触れたものがあるのでここに引用します。

ところでここで私が読者の注意を喚起したいのは、折口信夫の民俗調査旅行が、まさにこの地帯でくり広げられたという事実である。信州と三河と遠州の県境地帯には、花祭や冬祭や霜月祭の名前で知られる中世芸能が、いまにいたるまで豊かに伝承されている。そのことを知った折口信夫は、足繁くこの地帯を訪れて、失われてしまった原初の芸能の息吹に触れようとした。
中沢新一「折口信夫と天竜川」

折口は「原初の芸能の息吹」に触れるために花祭に通い詰めました。

花祭は熊野信仰が奥三河に定着して創造された神事芸能。

釜で湯を沸かして神霊に捧げ、その湯で人々を浄める熊野の湯立神事が、鎌倉時代末期から室町時代にかけて熊野の修験者により奥三河に伝えられ、そこから現地で独自の発展を遂げたのが花祭だと考えられます。

今年12月8日(土)、熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年の時を経て、熊野に里帰りします。その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

12月8日、熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年のときを経て、熊野に里帰りします!

今年12月8日(土)、熊野本宮大社旧社地にて奥三河の花祭の公演を行います。

熊野信仰が成立に関わる神事芸能は全国各地にありますが、その代表格とも言えるのが奥三河の花祭です。

奥三河(愛知県北設楽郡一帯)に伝わる花祭は、「花(花祭)に入らずば、日本の伝統芸能は語れない」といわれる日本を代表する民俗芸能で、国指定重要無形民俗文化財。

釜で湯を沸かして神霊に捧げ、その湯で人々を浄める熊野の湯立神事が、鎌倉時代末期から室町時代にかけて修験者により奥三河に伝えられ、そこから現地で独自の発展を遂げたのが花祭だと考えられます。

花祭は熊野信仰が奥三河に定着することで創造されました。熊野三山では残念ながら湯立神事は失われてしまいましたが、熊野から離れた奥三河の地で独自の発展を遂げて、脈々と受け継がれていることは嬉しく思います。

熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年の時を経て、今年12月8日、熊野に里帰りします。その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

主催は、私も一員である熊野花祭を実現するために集まった有志「熊野でテホヘ実行委員会」。「テホヘ」は花祭のなかで観衆が神楽の舞い手にかける掛け声。
共催は月花祭保存会(愛知県北設楽郡東栄町)。協賛は熊野本宮大社

花祭熊野公演チラシの印刷用のPDFデータを公開しています。
ダウンロードしてプリントアウトしてご利用ください。お店などに貼って宣伝にご協力していただけたら助かります。写真を撮るなどして、TwitterやInstagramでハッシュタグ「#熊野花祭」をつけてご投稿いただけたら嬉しいです。

できるだけ多くの方々に来ていただきたいので、ご協力よろしくお願い申し上げます。

チラシ表PDF チラシ裏PDF

花祭熊野公演にあたって熊野でテホヘ実行委員会では、寄付や、当日会場で配布するリーフレットへの広告掲載の募集をしています。どうかご協力お願い申し上げます。

熊野でテホヘ寄付申し込みフォーム(1口3000円から)

広告掲載についてはこちらのメールフォムでお問い合わせください。(1口5000円から)