湛増忌に思う

湛増所持の鉄扇

本日5月8日は、歴史上最も有名な熊野別当・湛増の命日です。湛増は建久9年5月8日(1198年6月14日)に69歳で亡くなりました。

熊野は明治以降虐げられ、破壊され、力を失いましたが、熊野を再興した後に振り返って、今の熊野の隆盛があるのは逆に明治の苦難があったからだと言えるようにできたらなあ、と思います。

日本中の人たちの憧れの地であった熊野。 である今日、あらためて熊野再興への思いを強くします。

熊野再興のための鍵となるのが、湛増とわずかながらもつながりがあり、明治政府の神社合祀政策に敢然と立ち向かって熊野を守ろうと戦った南方熊楠です。

湛増が闘鶏を行って神意を占った闘雞神社の森を守ったのも熊楠でした。

熊楠の文章をもっと多くの人に読んでいただきたいと思って、口語訳を公開しています。とくに読んでいただきたいのが、神社合祀反対運動の最中に書かれた「神社合祀に関する意見」と「南方二書」。

写真は闘雞神社が所蔵する、湛増が所持したと伝わる鉄扇。