南方熊楠顕彰会機関誌『熊楠ワークス』最新刊に柴田勝家著『ヒト夜の永い夢』の書評が!

南方熊楠顕彰会会員を対象に年2回発行される機関誌『熊楠ワークス』が届きました。

巽孝之氏(慶應大学文学部教授)による柴田勝家著『ヒト夜の永い夢』の書評があったので、まず最初にそれを読みました。

ここに、21世紀文学が大きな一歩を踏み出したことを、私はいささかも疑わない。

『熊楠ワークス』No.54

すごい評価です!!

戦国武将の名を名乗るSF作家・柴田勝家氏による南方熊楠を主人公にした伝奇小説、『ヒト夜の永い夢』。

佐藤春夫や植芝盛平も登場します。熊楠と植芝盛平は田辺市名誉市民、佐藤春夫は新宮市名誉市民。他に孫文や福来友吉、江戸川乱歩、北一輝、宮沢賢治、石原莞爾などが登場。

熊楠が好きならぜひお読みください! おすすめです!

日本ヤタガラス協会の会報とピンバッジが届きました!

日本ヤタガラス協会の会報とピンバッジが届きました。

「烏合の衆」という会報名がよいです。
カラスの群れのように統一も規律もなく寄り集まった群衆。
熊野っぽい、紀伊国っぽい感じがします。

戦国時代、日本に30年余り滞在した宣教師ルイス・フロイスは紀伊国のことを「四つ五つの共和国的な存在があり、いかなる権力者もそれを滅ぼすことができなかった」と述べています。

紀伊国は、天下人を頂点とする中央集権的なあり方に真っ向から対立する精神をもった人たちが住まう地域であったのです。

日本ヤタガラス協会の目的は「国内でのヤタガラス(八咫烏)の情報交換を通じて認知度を高め、韓国三足烏交流協会との連携を深めるとともに、東アジア世界の人々と文化・観光の交流推進すること」。
日本ヤタガラス協会協会規約(pdf)

ヤタガラス(八咫烏)は元々は大きなカラスです。それが3本足で描かれるようになったのは、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わった中国神話の三足烏の影響でしょう。

9/19は苗字の日

9月19日は苗字の日。1870(明治3)年9月19日、太政官布告により一般市民も苗字を持つことが許されました。

現在日本で2番目に多い名字は鈴木ですが、その始まりは熊野にあります。熊野本宮または新宮の神職に関わる家柄にあった人物が鈴木を名乗ってから始まった名字です。鈴木氏は12世紀頃に熊野から紀州藤白に移り住み、熊野詣の道中における要所・藤白王子(現・藤白神社、和歌山県海南市)の神職を代々世襲しました。藤白の鈴木氏は全国に散らばる鈴木氏の本家筋とみなされました。

スズキは熊野地方の方言です。刈取った稲束を積み上げたものを熊野ではスズキ(あるいはススキ)と言いました。または積み上げた稲束の中央に立てられる1本の木の棒を「聖なる木」という意味でスズキ(ススキ)と言ったともされます。鈴木の漢字はその当て字です。

もともと熊野地方の方言であった言葉が現在日本で2番目に多い名字になっているという現実は、かつての熊野信仰の影響力の大きさを今に示してくれています。

藤白の鈴木氏が主人公の能があります。能「鈴木」。「語鈴木(かたりすずき)」「重家」などとも呼ばれ、室町時代後期には成立していた能ですが、江戸時代中期には上演されなくなったようで、現在では廃曲となっていました。

主人公の鈴木三郎重家は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての人物で、藤白鈴木氏の当主。源義経に従い、源平合戦に活躍し、奥州平泉で義経と最期を共にしました。

長らく廃曲となっていた能「鈴木」は観世流能楽師の鈴木啓吾さんにより昨年2018年3月に復曲能「鈴木三郎重家」としておよそ300年ぶりに上演されました。

そしてその再演が今年2019年11月24日(日)、東京・新宿区神楽坂の矢来能楽堂にて行われます!

第21回一乃会 復曲能「鈴木三郎重家」

第21回一乃会
2019年11月24日(日)15時
矢来能楽堂
解説:小林健二
仕舞『屋島』 観世喜之
仕舞『橋弁慶』 観世喜正・観世和歌
狂言『成上り』 野村萬斎
復曲能『鈴木三郎重家』 鈴木啓吾

第21回一乃会 復曲能「鈴木三郎重家」

チケットはこちらから。
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=53673&