南方熊楠が昭和天皇へのご進講でお見せした標本

昭和天皇へのご進講の際に標本箱を入れて献上したキャラメル箱のレプリカ
南方熊楠顕彰館所蔵

今から90年前の昭和4年(1929年)6月1日に南方熊楠が昭和天皇にご進講(天皇や貴人の前で学問の講義をすること)をしました。

熊楠は標本等をお見せして、その説明を行いました。日本における変形菌研究の先駆者として知られた熊楠ですが、用意した標本は変形菌だけではありませんでした。

まず最初にお見せしたのがウガの標本でした。尾にコスジエボシが複数くっついたセグロウミヘビ。

2番目にお見せしたのが、熊楠がキューバで発見した新種の地衣類、ギアレクタ・クバーナ(Gyalecta cubana)の標本。地衣類は木の幹や岩の上などに生え、一見コケ植物のようにも見える生き物ですが、コケ植物ではありません。菌類と藻類という異なる種の生き物がくっついた共生生物が地衣類です。

キュバにて小生が発見せし地衣に、仏国のニイランデーがギアレクタ・クバナと命名せしものあり。これ東洋人が白人領地内において最初の植物発見なり。

「履歴書」『南方熊楠全集』七巻、平凡社

3番目にお見せしたのが、海岸の洞窟に棲息するクモの標本。
4番目は、オカヤドカリという陸上で生活するヤドカリの標本。
5番目は、熊楠が二十代前半、アメリカにいたときにウィリアム・カルキンスという植物学者から贈られた菌類や地衣類の標本をまとめた冊子。熊楠自身が採集した標本も付け加えられています。
6番目は、ご進講の前年の秋から八十日程かけて和歌山県日高川町の山にこもって採集した菌類の図譜320種。

そして最後にお見せしたのが、変形菌の標本110点でした。

ご進講の時間は25分と決められていましたが、延長を求められ、5分ほど時間を超過して講義が行われました。その延長時間のなかで熊楠は、神島に生える彎珠(わんじゅ)の保護などについて語ったそうです。

講義するに当たって導入部がとても大切だと思いますが、熊楠は最初にウガをお見せし、次に地衣類をお見せしました。

ウガはセグロウミヘビとコスジエボシがくっついた生き物であり、地衣類は藻類と菌類がくっついた生き物です。異なる2つのものがくっついたような存在を熊楠は重要視しており、お見せしたいと考えたのかもしれません。

最後にお見せした変形菌にしてもアメーバとキノコという異なる種の生き物がくっついたかのように思える生き物です。

熊楠の学問も生物学や民俗学、文学など異なる学問をくっつけるかのような、異なる学問の領域を行き来するものであり、そのような存在のあり方を熊楠は好んだように思われます。

南方熊楠が昭和天皇へのご進講で最初に見せたのはウガ

ウガ
ウガ(「ウガという魚のこと」『南方熊楠全集』二巻、平凡社)

今から90年前の昭和4年(1929年)6月1日に南方熊楠が昭和天皇にご進講(天皇や貴人の前で学問の講義をすること)をしました。

熊楠は標本等をお見せして、その説明を行いました。

日本における変形菌研究の先駆者として知られた熊楠でしたが、用意した標本は変形菌だけでありませんでした。

まず最初にお見せしたのが、田辺の漁民にウガと呼ばれるものの標本でした。

ウガとは、セグロウミヘビというウミヘビの尾にコスジエボシという動物が複数付いたもの。その尾を切り取って船玉(船中に祭られる船の守護神)に供えると漁に恵まれるとされました。

セグロウミヘビは体長60〜90cm程度、水陸両生ではなく、ヘビの中で唯一の一生を海の中で過ごす外洋性のウミヘビです。その生態は解明しきれていませんが、海流に乗って何千kmも大洋を移動するという漂流生活をしているようです。

コスジエボシは蔓脚類に属する動物。フジツボの仲間です。フジツボというと磯の岩場に貼り付いている富士山型のものが思い浮かびますが、このフジツボには貝殻がありません。海流に乗って漂流する流木などに付着し、海面を漂って生活します。

コスジエボシの幼生は海中を泳いで移動し、ある段階で漂流しているものに取り付きます。取り付いた先がたまたまセグロウミヘビであったときにウガが誕生するということになります。

このような異なる種の生き物がくっついたようなものに熊楠は興味があったようです。熊楠は淡水性の亀に藻を生やして蓑亀にするという実験も行っていました。

ウガはセグロウミヘビとコスジエボシがくっついた生き物であり、また変形菌にしてもアメーバとキノコという異なる種の生き物がくっついたかのような生き物です。また熊楠は男女の二つの性を合わせもつ半男女についても強い関心を示しました。異なる二つのものがくっついたような存在に熊楠は惹かれたようです。

宇賀。田辺の漁夫の話(今年一月二十九日夜聞くところ、筆記のまま)、田辺の海中にウガというものあり。(東牟婁郡の三輪崎にてカイラギという。)蛇に似て、赤白段をなして斑あり、はなはだ美なり。尾三に分かれ、中央は珠数ごとく両方は細長し。游ぐ時、美麗極まるなり。動作および首を水上にあげて游ぐこと蛇に異ならず。この物を獲れば、舟玉をいわいこめたる横木の前の板(平生この上で物をきることなし)を裏返し、その上にてその尾をきり祀れば海幸多し、長さは二尺ばかり、と。

柳田國男宛書簡、明治四十四年三月二十六日付『南方熊楠全集』八巻、平凡社

一昨年〔大正十三年〕六月二十七日夜、田辺町大字江川の漁婦浜本とも、この物を持ち来たり、一夜桶に潮水を入れて蓄い、翌日アルコールに漬して保存し、去年四月九日、朝比奈春彦博士、緒方正資氏来訪された時一覧に供せり。これ近海にしばしば見る黄色黒斑の海蛇の尾に、帯紫肉紅色で介殻なきエボシ貝(バーナックルの茎あるもの)八、九個寄生し、鰓、鬚を舞してその体を屈伸廻旋すること速ければ、略見には画にかける宝珠が線毛状の光明を放ちながら廻転するごとし。この介甲虫群にアマモの葉一枚長く紛れ著き脱すべからず。尾三つに分かれというは、こんな物が時として三つも掛かりおるをいうならん。

「ウガという魚のこと」『南方熊楠全集』二巻、平凡社