木の枝にかかる苔

藤原定家の『熊野道之間愚記(後鳥羽院熊野御幸記)』に次のような記述があります(私による現代語訳)。

今日の道は深山で、樹木が多く、苔が生え、木の枝にかかる。藤枝のようで、遠くから見るともっぱら春の柳に似ている。

湯川から発心門までの道中のことです。

木の枝に苔が懸かる光景というのは今の熊野古道では見られないと思いますが、奥山に行くと時々見ることができます。

自然の風景を眺めるときに、苔類、あるいは地位類や藻類のような小さな生き物が風景に微細な彩りを加える重要な美の要素となります。

木の枝に苔が懸かる光景を熊野古道に甦らせることができたらいいなと思います。

熊野本宮大社の社前に並べられていた大砲

今から109年ほど前に熊野本宮大社南方熊楠は訪れました。現在地に遷座して17年後の本宮の様子を熊楠は次のように記しています。

万事万物新しき物のみで、露軍より分捕の大砲など社前に並べあるも、これは器械で製造し得べく、また、ことにより外国人の悪感を買うの具とも成りぬべし。
(「神社合祀に関する意見(原稿)」白井光太郎宛書簡、明治四十五年二月九日付『全集』七巻)

当時、本宮の社殿の前には日露戦争でロシア軍から戦利品として鹵獲した大砲などが並べてありました。日露戦争後、政府は戦利品のロシア軍の兵器や日本軍の廃兵器を全国の著名な神社仏閣に配布しましたが、本宮の社前に並べられていたのも政府が配布したものです。

それを熊楠は、外国人が本宮を訪れたときに悪感情を抱く元となるであろうと指摘しています。今でこそ熊野を訪れる外国人旅行者は珍しくないですが、熊楠は今から100年ほど前にすでに、外国人旅行者が熊野を訪れたときのことを考えていました。

今でも大砲が置かれたままの神社はありますが、本宮の場合は撤去できてよかったと思います。

当時の写真ないかな〜?