石炭紀

世界にまるで不用の物なし。
私が好きな南方熊楠の言葉のひとつです。

世界にまるで不用の物なし。多くの菌類や黴菌は、まことにせっかく人の骨折って拵えた物を腐らせ、悪むべきのはなはだだしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチも三進もならず。そこを醗酵変化、分解融通せしめて、一方に多く新たに発生する物に養分を供給するから、実際一日もなくてならぬ物だ。
(「鼠に関する民俗と信念」『南方熊楠全集』一巻)

現在より3億5920万年前から2億9900万年前までの石炭紀と呼ばれる時代。
この時代、地上では高さ20m〜30mに及ぶ巨大なシダの巨木が大森林を形成し、昆虫や両生類が栄えました。

石炭紀と呼ばれるのはこの時代の地層から多く石炭を産するから。

当時、木を分解できる菌類がおらず、木は枯れても腐りませんでした。枯れた木は腐らずに地中に埋もれ、そこで地熱や圧力を受けて石炭となりました。

石炭紀末期(2億9000万年前)に木を分解する能力を獲得した菌類が登場し、木が腐るようになり、石炭が生成されにくくなりました。

木を分解できる菌類が十分に進化した現在、そうした菌類が生息できないが木は生息できるという特殊な環境の場所だけでしか石炭は生成されなくなりました。

おそらくもう2度と石炭紀のような時代が訪れることはないでしょう。

木を分解できる菌類の登場で、生態系はより豊かになりました。

伊賀流忍術の始祖は

久しぶりに折り紙で手裏剣を作りました。

伊賀流忍術の始祖は御色多由也(おいろたゆや)という人物だと伝えられます。

この人物はじつは、紀元前3世紀の中国・秦の始皇帝の命で不老不死の仙薬を求めて熊野に上陸した徐福(じょふく)その人、もしくはその従者の1人だと考えられています。

熊野に上陸した徐福一行が薬草を求めて伊賀に行き、そこで大陸の先進技術とともに忍術の基礎を伝えたのが伊賀流忍術の始まりなのだそうです。

熊野では徐福が農耕や漁法、捕鯨、造船、紙すき、焼き物の製法や土木、医薬などの技術などの技術を伝えたとされますが、伊賀では加えて忍術も伝えたとされるのですね。

熊野には徐福一行の上陸地だとされる場所が2ヶ所あります。
三重県熊野市波田須町和歌山県新宮市阿須賀

 

那智の滝の保全

那智勝浦町では今年1月に町長の諮問機関で「那智の滝保全委員会」が設置されました。今月5日に第1回の会議があって、町長が「那智の滝が流れる姿を未来永劫守っていかねばならない」というような挨拶をされたようです。
http://www.agara.co.jp/sp/news/?i=365470

今から100年ほど前に南方熊楠は、那智の滝の背後の山林を伐採したら那智の滝の水源は涸れ尽くすだろうと伐採に反対しました。

さて霊山の滝水を蓄うるための山林は、永く伐り尽され、滝は涸れ、山は崩れ、ついに禿山となり、地のものが地に住めぬこととなるに候。
(松村任三宛書簡、明治四十四年(1911年)八月二十九日付『全集』七巻)

そう熊楠は警告し、那智の滝の水源林の保全を訴えました。

熊楠が100年前に行ったことをいま私たちは追いかけています。私たちはまだまだ全然熊楠に追いつけていません。

今日2月6日はお燈まつり

今日2月6日はお燈まつり
梅原猛さんと中上健次さんの対談集『君は弥生人か縄文人か』から。

梅原 …しかしすごい祭りだなあ。山の上であの火をみんながつけているとこ見ると、やっぱりこの世のものじゃない。この世の国じゃないですね、あれは。やっぱり霊の国だなあ。非常に原始的な祭りですね。火というものを人類が発明した、その喜びを伝える祭りですわ。ちょっと感動したね。こんな単純な祭りないわけよ。
中上 そうですね。
梅原 ほんとに。
中上 上って下りる (笑)。
(梅原猛、中上健次『君は弥生人か縄文人か』集英社文庫、43-44頁)

お燈まつりは、山上で火をおこして松明にともして下界に帰ってくるという、とてもシンプルな火祭りです。そのシンプルさは人類の祖先の火の獲得・火の発明を思わせます。

日本の火祭りの原初的形態はお燈まつりのような形であったのではないでしょうか。