南方熊楠ゆかりの地2 神島

千代田区立日比谷図書文化館にて開催される「ジャパニーズ・エコロジー 南方熊楠ゆかりの地を歩く」の写真展・ポスター展(5月22日〜6月17日)、シンポジウム(6月14日)に向けての熊楠ゆかりの地紹介。第2回目は和歌山県田辺市にある神島(かしま)。

田辺湾内で目ぼしい処は、何といっても神島だ。すでに神島と名づく。この島の神が湾内を鎮護すると信ぜられたるの久しきを知るべし。
(「紀州田辺湾の生物」『南方熊楠全集6』平凡社、276頁)

神島はその名の通り神様の島とされた田辺湾に浮かぶ無人島です。

たとえば今度御心配をかけし田辺湾の神島のごときも、千古斧を入れざるの神林にて、湾内に魚入り来るは主としてこの森存するにある。これすでに大なる財産に候わずや。
松村任三宛書簡、明治四十四年八月二十九日付『南方熊楠全集7』平凡社、493頁)

その森には古来斧が入れられることがなく、魚が寄ってくるよい魚つき林となっており、田辺湾の漁民たちの崇敬を集めました。

神島は「昨今各国競うて研究発表する植物棲態学 ecology を、熊野で見るべき非常の好模範島」でした(柳田國男宛書簡、明治四十四年八月六日付『南方熊楠全集8』平凡社、59頁)。

熊楠が昭和天皇に拝謁したのもこの神様の島。

国の天然記念物で、国の名勝「南方曼陀羅の風景地」の一部。島内への立ち入りは禁止。

写真展・ポスター展の写真は、CEPAジャパン代表で公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員の川廷昌弘さんが撮影したもの。私が現地のご案内をしました。

このブログに掲載している写真は私が撮影したものです。

南方熊楠ゆかりの地1 熊野三所神社

千代田区立日比谷図書文化館にて5月22日(火)から開催される「ジャパニーズ・エコロジー 南方熊楠ゆかりの地を歩く」の写真展・ポスター展、6月14日(木)開催のシンポジウムに向けて、こちらのブログでは順次、熊楠ゆかりの場所を紹介していきます。

まず第1回目は、和歌山県白浜町にある熊野三所神社。熊楠が白浜滞在時によく訪れた場所です。

この田辺湾は斉明天皇の御行幸ありし地にて、おぼろげながらその御故跡少なからず。現に瀬戸鉛山連合村の村社は実に見事な社殿とその後ろの神森の山あるなり。オガタマの木多し。この山は希珍の菌茸多く生ず。……とにかく近海を航するもののはなはだつつしみ崇めし宮なり。山を御船山と申す。
(白井光太郎宛書簡、昭和五年三月十九日付『南方熊楠全集9』平凡社、521頁)

先月末に訪れたときには樹冠をアゲハチョウが飛んでいました。よく見えませんでしたが、たぶん幼虫がオガタマノキを食べるミカドアゲハ。

リゾートビーチの横にこれだけの森が残されているのはすごいことだと思います。

田辺湾の神島と、白浜の熊野三所神社の森は、魚つき林のいい森です。三所神社は観光地の白良浜のすぐ端っこにありながら、あれだけの森が残っているとは……。前に千葉大学の沼田真先生が来られたときに、三所神社に連れていって森を見てもらったのです。「紀州にまだこんな森が残ってるんだ。すごい。千葉県にこんな森があったら、確実に国の天然記念物にして保全しているだろう」と言われました。
(後藤伸・中瀬喜陽・玉井済夫『熊楠の森―神島』農文協、22頁)

番所山から望む熊野三所神社。

写真展・ポスター展の写真は、CEPAジャパン代表で公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員の川廷昌弘さんが撮影したもの。私が現地のご案内をしました。

このブログに掲載している写真は私が撮影したものです。

南方熊楠が提供した資料がアメリカ連邦議会図書館で永久保存

南方熊楠が提供した資料一式がアメリカで永久保存されていることが、本日の南方熊楠顕彰館での座談会「熊楠の好物を味わう」のなかで松居竜五先生(2017年に『南方熊楠一複眼の学問構想』で第15回角川財団学芸賞を受賞)から報告されました!

保存されている場所はワシントンにある世界最大の図書館、アメリカ連邦議会図書館!

熊楠からアメリカ農務省のスウィングル氏に贈られた絵巻物『山の神物語』と、その詞書きの写し、魚の写生や標本。その一式がアメリカ連邦議会図書館で永久保存されているのだそうです!

すごい!

しかも、それが民俗学と生物学を行き来した熊楠らしい一式であるのもすごい!

この絵巻物はもともと題がなく、熊楠は仮に『山の神物語』と題をつけましたが、それは以下のような物語です。

狼形の山神オコゼ魚を恋い、ついにこれを娶るを、章魚(たこ)大いに憤り、その駕を奪わんとせしも、オコゼ遁れて、ついに狼の妻となる譚(ものがたり)にて、文章ほぼ室町季世の御伽草子に類せり。
「山神オコゼ魚を好むということ」『南方熊楠全集2』平凡社、251頁)

資料のなかにある熊楠の筆による魚の写生は、オコゼではなく、海に棲むミノカサゴと、川に棲むアユカケの2種。熊野ではこの2種がオコゼと呼ばれていたのかもしれません。

『本朝食鑑』のカジカ魚、『大和本草』の川オコゼも、『水族志』にこれと同物としある。『南方随筆』二四九頁〔「山神オコゼ魚を好むということ」〕に出た「むかし人あり、十津川の奥白谷の深林で、材木十万も伐りしも、水乏しくて筏出すあたわず。よって河下なる土小屋の神社に鳥居(現存)を献じ、生きたるオコゼを捧げ祈りければ、翌朝水おおく出でて、その鳥居を浸し、件の谷よりここまで、筏陸続として下り、細民生利を得ることこれ多し。その人これをみて大いに歓び、径八寸ある南天の大木にのり、流れに任せて之(ゆ)く所を知らず」という咄のオコゼは、海産の物を活きながらここまで運ぶはとても叶わず。たぶん、この川オコゼすなわちアイカケであったろう。学名コックス・ボルルックスで、海魚コチ科に近いカジカ科のものだ。
(「ドンコの類魚方言に関する藪君の疑問に答う」『南方熊楠全集4』平凡社、417-418頁)

松居竜五先生の著書『南方熊楠一複眼の学問構想』
(第15回角川財団学芸賞受賞)