本日3月1日はビキニデー、マグロ漁船・第五福竜丸などが被曝した日

「第五福竜丸建造の地」碑
「第五福竜丸建造の地 古座川中洲」 和歌山県串本町

本日3月1日はビキニデー。アメリカが太平洋ビキニ環礁において水爆実験を行った日。1954年3月1日。第二次世界大戦後の初めて行われたこの核実験によって、マーシャル諸島の人々や多くの日本漁船などが被災しました。

長らく隠蔽されてきましたが、当時の水産庁の文書によると被災漁船総数は1423隻、放射能汚染魚を廃棄した漁船数は992隻。
ビキニ核実験 被災は1423隻 文書に記載/紙議員に水産庁初めて提出

これらの被災した日本漁船のうちで当時公にされたのは第五福竜丸のみ。

第五福竜丸は被曝時、静岡県焼津市の焼津港を母港とするマグロ漁船でしたが、建造されたのは和歌山県古座町(現・串本町古座)の古座川河口の中洲に1960年頃まであった古座造船所でした。

第五福竜丸はアメリカが設定した危険水域の外で操業していましたが、実際の威力はその想定よりも遥かに大きかったために多量の放射性降下物「死の灰」を浴び、船員23名全員が被爆しました。

第五福竜丸の被曝から8ヶ月後の1954年11月3日に映画「ゴジラ」が公開されました。

映画「ゴジラ」の作中で、古生物学者の山根恭平博士はゴジラについて「ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、ビキニ環礁の原子爆弾研究で安住の土地を追われ、出現したのではないのか」と説明します。

ゴジラは第五福竜丸の被曝から着想され、生み出された怪獣なのです。

本日2月29日は出口王仁三郎が無期懲役の判決を言い渡された日

本日2月29日は出口王仁三郎が無期懲役の判決を言い渡された日。

1940年(昭和15年)2月29日、第二次大本事件の第一審で、大本教主・出口王仁三郎は不敬罪・治安維持法違反で無期懲役の判決を言い渡されました。

近露王子之跡
近露王子之跡

和歌山県田辺市中辺路町にある近露王子跡の境内には「近露王子之跡」と刻まれた碑がありますが、これは大本教主・出口王仁三郎の筆跡によるものです。

王子碑の文字について

「近露王子之跡」と書かれた碑の文字は、記名がないけれども大本教主出口王仁三郎の筆跡である。昭和八年(1933)三月二十一日この地に来て休息した際、当時の近野村長横矢球男の依頼で用紙に筆をふるったのである。翌年一月それを彫りつけた王子碑が建立されたが、二年後の昭和十年十二月大本教は二回めのはげしい宗教弾圧をうけ、この碑も取り壊さねばならぬことになった。その時横矢は、この文字は筆跡を自分が模写したものであると主張し、保存していた王仁三郎の書を警察に提出した上で、碑面に見られた「王仁」の書名を削り、そこに「横矢球男謹書」と彫り改めて、王子碑の撤去をまぬがれたという。出口王仁三郎の筆跡の碑は全国に数多く建てられていたが、他はことごとく破壊され、辛うじて残ったのはここだけだとされている。

市教育委員会設置の現地案内板

1942年(昭和17年)7月31日の第二審判決で、出口王仁三郎は治安維持法については無罪となり、不敬罪の懲役5年のみとなりました。

第二次大本事件は治安維持法を宗教団体に適用した最初の案件でした。

本日2月29日は二・二六事件が収束した日

ヒト夜の永い夢
柴田勝家『ヒト夜の永い夢』ハヤカワ文庫

本日2月29日は二・二六事件が収束した日。

1936年(昭和11年)2月26日、陸軍青年将校らが約1500人の下士官兵を率いて政府首脳を襲撃。首相官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省などを占拠し、永田町周辺を封鎖。斎藤実内相、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害。28日、政府は彼らを反乱部隊として陸軍に武力鎮圧を命令。陸軍は反乱部隊を包囲。29日、下士官兵は原隊復帰勧告に応じ、青年将校らは逮捕され、事件は収束しました。

先日も書きましたが、2月26日に殺害された斎藤実内相(第30代内閣総理大臣)と高橋是清蔵相(第20代内閣総理大臣)は南方熊楠と面識のあった人物。海軍軍人であった斎藤実とはロンドン時代に出会っており、高橋是清は共立学校(現・開成高校)時代の英語の先生でした。

戦国武将の名を名乗るSF作家・柴田勝家氏による南方熊楠を主人公にした伝奇小説『ヒト夜の永い夢』で、熊楠は2人が殺害された現場の夢を見ます。

「高橋先生」
「僕は死んだな。ああ、死んだ」
「悲しいことです」
「悲しいが、これも天命だ。不思議なのは、死の際になってナンポウ君が会いに来てくれたことだ。君も死んだか」

……

「殺すなら自分を殺せと、私を庇ってくれたのです」
「良い妻だな、斉藤さん」
「ええ、あのような女性と出会えて本当に良かった」
「ロンドンでの一件は、あの細君あってこそだな」
「いやはや、あの時は愉快でしたな」

柴田勝家『ヒト夜の永い夢』ハヤカワ文庫、483-485頁