本日3月3日は武蔵坊弁慶の誕生日

紀州に伝わる伝説のひとつでは、弁慶は仁平元年(1151年 )3月3日に誕生したとされます。
武蔵坊弁慶生誕伝説 – Wikipedia

そのため、闘鶏神社の境内にある弁慶を御祭神とする弁慶社では毎年3月3日に例祭が執り行われます。

弁慶社(闘鶏神社境内社)
弁慶社(闘鶏神社境内社)

弁慶社は元々は弁慶松と呼ばれた松の木の根元に祀られていました。

弁慶松跡
弁慶松跡

闘鶏神社の社務所には、弁慶誕生の地とされる本願別当極楽寺大福院から寄進された弁慶の産湯を沸かしたといわれる釜が展示されています。

弁慶 産湯の釜
弁慶 産湯の釜

闘鶏神社境内にて9/28に薪能開催

闘鶏神社創建1600年を記念して9月28日(土)に闘鶏神社境内にて薪能が開催されます。
上演される能の演目は「安宅」「船弁慶」「土蜘蛛」。いずれも闘鶏神社で演じるのにふさわしい演目です。

●「安宅」は弁慶がシテ(主役)。弁慶熊野別当の子とされ、田辺が生誕の地だと伝えられます。

源頼朝と不仲となった義経は、弁慶などの家臣とともに山伏の姿となり、奥州平泉を目指す。安宅の関で弁慶が勧進帳を読み上げ、義経を杖で打ち、難を逃れる。
http://www.mikumano.info/yokyoku/yokyoku170.html

●「船弁慶」は弁慶がワキ(脇役)。

船で西国に下る義経弁慶主従の前に平知盛の霊が現れて義経を海に沈めようとする。弁慶が平知盛の霊を祈り伏せる。
http://www.mikumano.info/yokyoku/yokyoku238.html

●「土蜘蛛」に登場する名刀・膝丸(ひざまる)は「剣の巻」では後に熊野権現に奉納され、熊野別当湛増から源義経に贈られたと語られます。

病気で臥せる源頼光(みなもとのらいこう)のもとへ見知らぬ法師が現れた。その法師の正体は蜘蛛の化け物で、頼光を襲った。頼光は源氏に代々伝わる名刀、膝丸(ひざまる)を手に取り、斬りつけた。
http://www.mikumano.info/yokyoku/yokyoku234.html

世界遺産 闘鶏神社創建千六百年 田辺薪能 2019.9.28
世界遺産 闘鶏神社創建千六百年 田辺薪能 2019.9.28

南方熊楠が昭和天皇へのご進講で最初に見せたのはウガ

ウガ
ウガ(「ウガという魚のこと」『南方熊楠全集』二巻、平凡社)

今から90年前の昭和4年(1929年)6月1日に南方熊楠が昭和天皇にご進講(天皇や貴人の前で学問の講義をすること)をしました。

熊楠は標本等をお見せして、その説明を行いました。

日本における変形菌研究の先駆者として知られた熊楠でしたが、用意した標本は変形菌だけでありませんでした。

まず最初にお見せしたのが、田辺の漁民にウガと呼ばれるものの標本でした。

ウガとは、セグロウミヘビというウミヘビの尾にコスジエボシという動物が複数付いたもの。その尾を切り取って船玉(船中に祭られる船の守護神)に供えると漁に恵まれるとされました。

セグロウミヘビは体長60〜90cm程度、水陸両生ではなく、ヘビの中で唯一の一生を海の中で過ごす外洋性のウミヘビです。その生態は解明しきれていませんが、海流に乗って何千kmも大洋を移動するという漂流生活をしているようです。

コスジエボシは蔓脚類に属する動物。フジツボの仲間です。フジツボというと磯の岩場に貼り付いている富士山型のものが思い浮かびますが、このフジツボには貝殻がありません。海流に乗って漂流する流木などに付着し、海面を漂って生活します。

コスジエボシの幼生は海中を泳いで移動し、ある段階で漂流しているものに取り付きます。取り付いた先がたまたまセグロウミヘビであったときにウガが誕生するということになります。

このような異なる種の生き物がくっついたようなものに熊楠は興味があったようです。熊楠は淡水性の亀に藻を生やして蓑亀にするという実験も行っていました。

ウガはセグロウミヘビとコスジエボシがくっついた生き物であり、また変形菌にしてもアメーバとキノコという異なる種の生き物がくっついたかのような生き物です。また熊楠は男女の二つの性を合わせもつ半男女についても強い関心を示しました。異なる二つのものがくっついたような存在に熊楠は惹かれたようです。

宇賀。田辺の漁夫の話(今年一月二十九日夜聞くところ、筆記のまま)、田辺の海中にウガというものあり。(東牟婁郡の三輪崎にてカイラギという。)蛇に似て、赤白段をなして斑あり、はなはだ美なり。尾三に分かれ、中央は珠数ごとく両方は細長し。游ぐ時、美麗極まるなり。動作および首を水上にあげて游ぐこと蛇に異ならず。この物を獲れば、舟玉をいわいこめたる横木の前の板(平生この上で物をきることなし)を裏返し、その上にてその尾をきり祀れば海幸多し、長さは二尺ばかり、と。

柳田國男宛書簡、明治四十四年三月二十六日付『南方熊楠全集』八巻、平凡社

一昨年〔大正十三年〕六月二十七日夜、田辺町大字江川の漁婦浜本とも、この物を持ち来たり、一夜桶に潮水を入れて蓄い、翌日アルコールに漬して保存し、去年四月九日、朝比奈春彦博士、緒方正資氏来訪された時一覧に供せり。これ近海にしばしば見る黄色黒斑の海蛇の尾に、帯紫肉紅色で介殻なきエボシ貝(バーナックルの茎あるもの)八、九個寄生し、鰓、鬚を舞してその体を屈伸廻旋すること速ければ、略見には画にかける宝珠が線毛状の光明を放ちながら廻転するごとし。この介甲虫群にアマモの葉一枚長く紛れ著き脱すべからず。尾三つに分かれというは、こんな物が時として三つも掛かりおるをいうならん。

「ウガという魚のこと」『南方熊楠全集』二巻、平凡社