和歌の世界では熊野といえば恋

三輪崎漁港

以前に「熊野地方で恋愛に関連する場所ってありませんか」と聞かれたことがあるのですが、そのときは思い付かなくて答えられませんでした。

でも、よく考えてみたら、和歌の世界では熊野といえば恋です。

建保3年(1215)に成立した、全国の名所100ヶ所を春・夏・秋・冬・恋・雑の6つに分類して和歌1200首を収めた歌集『建保名所百首』では「み熊野の浦」は恋の部に入れられています。

み熊野の浦、熊野の浦を和歌に詠み込むときは基本的に恋の歌になるのです。

  • み熊野の浦より遠(をち)に立つ霧のはれぬ思ひをなほやへだてむ(913 順徳院)
  • 昔より玉かとのみぞみ熊野の浦までとほる袖の涙を(914 行意)
  • ときのまの夜はの衣の浜木綿やなげきそふべきみ熊野の浦(915 定家)
  • 日にそへて人の心をみ熊野のつらさかさなる浦の浜木綿(916 家衡)
  • へだつともふきたにかよへみ熊野の浦より遠の八重の潮風(917 俊成女)
  • み熊野の浦の浜木綿とへかしと思ふ嘆きはなほそかさなる(918 順徳院兵衛内侍)
  • み熊野の浦の浜木綿白妙の袖のわかれも祈り重ねよ(919 家隆)
  • いくたびかいそへのしほのさしながらつらき心をみ熊野の浦(920)
  • ちきりしにあらぬつらさをみ熊野のあはでつきひや浦の浜木綿(921 知家)
  • み熊野の浦の浜木綿いくよ経ぬあはぬ涙を袖に重ねて(922 範宗)
  • み熊野の浦の浜木綿たつ波の世にふる袖を人にとへかし(923 行能)
  • 忘らるる身こそはあらめみ熊野の浦のかひある名をばとどめよ(924)

ハマユウ

和歌の世界では「み熊野の浦」といえば浜木綿(ハマユウ)が連想されます。ハマユウは海辺に生えるヒガンバナ科の多年草。葉が幾重にも重なっていることから、「あなたへの思いが幾重にも重なっています」というときに「み熊野の浦の浜木綿」が詠み込まれます。

み熊野の浦
http://www.mikumano.net/uta/ura.html

「み熊野」という言葉

「み熊野」という言葉ですが、これはとても大切な言葉です。

「み」は神のものを表わす接頭語で、「み」が冠された地名は古代では「み熊野」と「み吉野」と「み越路〔みこしじ:越の国(越前・越中・越後の三国)〕」の3つのみ。

神聖な土地に「み」が冠されました。「み」にはその土地に対する畏敬や憧憬の念が込められているのです。

招霊木(オガタマノキ)の花

オガタマノキ
招霊木(オガタマノキ)の花が花盛り。
 
オガタマノキは、神道に古く因縁深い木であるが、九州に自生している箇所があるというが、その他に大木あるのは紀州の社地だけである。合祀のため著しく減じた。
(南方熊楠「神社合祀に関する意見」、私による口語訳)
 
本月23日の本紙(『牟婁新報』)に、七川平井にオガタマの木があり、古え安倍晴明がこの村にとどまったとき、手植えした物ということが見える。このオガタマの木は、本邦南部諸国に産し、紀州では竜神辺に自生がある、というのが故伊藤圭介先生の説である。予が知るところでは、当郡瀬戸の藤九郎神社に1〜2丈の大木が数本あり、また25年前、日高郡和田浦の神社に1本あるのを見た。まだ他にもあるだろう。葉は平滑、光沢があり、長楕円状、倒卵形、また倒披針形、長さ5〜6分、実叢長さ1〜2寸、ちょっと見たところ松かさのようで、赤い実が多くその中から露出し、美しい。
南方熊楠「オガタマの木について」、私による口語訳
 
東牟婁郡七川村平井という所の神林には晴明の手植えの異樹があり、誰もその名を知らず、枝を折って予に示すのを見るとオガタマノキだった。
南方熊楠「紀州俗伝」、私による口語訳
オガタマノキ