南方熊楠は日本人の夢

昨日放送された南方熊楠生誕150周年記念のシンポジウムのなかでコーディネーターの中沢新一氏は「熊楠は日本人の夢」だとおっしゃられました。

私の夢も、熊楠が100年前に考えていたことの一部を実現することです。それは、熊野を世界の人々が訪れる持続可能な観光地にすること。

それは熊楠が100年前に夢見ていた地域の未来。
http://www.mikumano.net/nikki/20160910.html

ターミナル島の日系人

‪ 日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)、日本海軍により真珠湾攻撃が行われました。

当時、米国カリフォルニア州ターミナル島には日系人が約3000人暮らしていました。太地などの熊野地方の漁村出身者が多く、男性は漁業、女性は缶詰工場で働きました。マグロの缶詰「チキンオブザシー」は熊野出身の女性たちが作っていました。

日米開戦により彼らはスパイ容疑で逮捕され、あるいは強制収容所に入れられました。‪

和歌山県は海外への移民が多かった県。地域の移民の歴史を学ぶことは、今後日本が多文化共生社会を築いていくうえで必要な取り組みとなることと思います。‬