節分の豆撒きの風習は熊野九十九王子のひとつ・切目王子から!?

切目神社
切目神社(切目王子跡)

本日は節分。熊野本宮大社の追儺式に参列して、福豆やお餅、お菓子を撒かせていただきました。

節分では豆を撒きますが、一説としてその風習の元になったとされるのが熊野九十九王子のひとつ・切目王子で行われた豆の粉(大豆粉、きな粉)の化粧。

熊野詣の帰途に切目王子の前では豆の粉で化粧するというしきたりがありました。

室町幕府三代将軍・足利義満の側室・北野殿が応永34年(1427年)に熊野参詣したときに先達をつとめた住心院僧正・実意が記した日記『熊野詣日記』には以下のように記されています。

10月6日 曇り
……
五体王子である切目の王子の御前にてお化粧品を差し上げる。豆の粉である。お額、お鼻の先、左右のお頬の先、おあごなどにお塗りになって、まさに王子の御前を通り申し上げなさるときには稲荷の氏子のように「こうこう」とおっしゃるようにと申し入れた。

実意『熊野詣日記』(私による現代語訳)

切目王子での豆の粉の化粧の由来は、後花園天皇の父・後崇光院が書写した『宝蔵絵詞』で知ることができます。『宝蔵絵詞』現代語訳

人類の火の獲得を思い起こさせる熊野の「火の祭り」

花窟神社の御綱掛け神事

人類の火の獲得を思い起こさせる「火の祭り」が熊野には2つあります。
今日2月2日に執り行われた花窟神社の御綱掛け神事と、4日後の2月6日に執り行われる神倉神社のお燈祭りです。

花窟神社の御綱掛け神事には実際の火は使われませんが、かつて「火の祭り」と呼ばれていました。火の神を産んで亡くなったイザナミの魂をお祭りする神事です。こちらのお祭りは10月2日にも執り行われます。

神倉神社のお燈祭りは山上で火をおこしてタイマツにともして下界に帰ってくるというそのまま火の獲得を思い起こさせる祭りです。

花の窟はイザナミの墓所だとされます。火の神を産んでイザナミは亡くなりました。普通、神様は死にません。お隠れになるだけです。なぜイザナミは火の神を産んで亡くなったのでしょうか。

それは母なる神をも殺すほどに火は危険なものであるという認識から生まれた神話なのかもしれません。

本日2月2日は世界湿地デー

串本沿岸海域のサンゴ群生

本日2月2日は「世界湿地デー」。
1971年のこの日、湿地の保存に関する「ラムサール条約」が調印されました。

元々は水鳥の生息地として国際的に重要な湿地の保全を目的に制定された条約ですが、現在は水鳥の生息地だけでなく、人工の湿地や地下水系、マングローブ林、サンゴ礁域など多種多様な水辺の生態系の保全を目的としています。

熊野にあるラムサール条約登録湿地は串本沿岸海域。2005年11月に登録されました。

串本沿岸海域は世界最北の大サンゴ群生地です。