南方熊楠ゆかりの地3 田中神社

千代田区立日比谷図書文化館にて開催される「ジャパニーズ・エコロジー 南方熊楠ゆかりの地を歩く」の写真展・ポスター展(5月22日〜6月17日)、シンポジウム(6月14日)に向けての熊楠ゆかりの地紹介。第3回目は和歌山県上富田町にある田中神社

この辺に柳田国男氏が本邦風景の特風といえる田中神社あり、勝景絶佳なり。
松村任三宛書簡、明治四十四年八月二十九日付『南方熊楠全集7』平凡社、493頁)

田の中にこんもりとした神社の森があるという日本に特有の風景を、熊楠は「勝景絶佳」と称賛しました。

田中神社について読んでいただきたい文章が下記リンクの新聞記事。熊楠の談話を牟婁新報の記者がまとめたものです。短い文章なのでぜひお読みください。
岡の田中神社をツブしちゃ困る—南方先生の談話—

この短い文章のなかで熊楠が名前を挙げている植物は、ミサオノキ、ホンゴウソウ、ウエマツソウ、サンゴ蘭、マヤラン、ムヨウラン、シロシャクジョウの7つ。

この7つのうち5つ(ホンゴウソウ、ウエマツソウ、マヤラン、ムヨウラン、シロシャクジョウ)は光合成をせず、菌類から養分をもらって生活する菌寄生植物です。

サンゴ蘭はどんな植物か確認できませんでしたが、これも菌寄生植物なのかもしれません。

熊野の森の豊かさの象徴として熊楠はとくに菌寄生植物を挙げていますが、田中神社のあの小さな森にこれほどの豊かさがあったとは驚きです。

多くの菌寄生植物が生えるということは、土の中に極めて多様で豊かな菌根菌の菌糸のネットワークがあるということです。土壌中の生物多様性が、地上の生物多様性をもたらします。

専門学上のことをかれこれ話しても所詮はないが、近来岡川や田中神社の神林を伐採するという話がある。伐られては学問上大損害を受けるわけじゃから、ドウかそのような無知なことはぜひ思い止まって貰いたい。
(「岡の田中神社をツブしちゃ困る—南方先生の談話—」大正5年1月13日『牟婁新報』)

熊楠がいなければ失われていたであろう田中神社も、現在では国の名勝「南方曼陀羅の風景地」の一部。かつての豊かさはかなり失われているものと思われますが、それでもこれからもずっと大切に守らなければならない森です。

写真展・ポスター展の写真は、CEPAジャパン代表で公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員の川廷昌弘さんが撮影したもの。私が現地のご案内をしました。

このブログに掲載している写真は私が撮影したものです。

八上神社の森

八上神社の森はいつ伐採されてしまったのでしようか?

和歌山県指定天然記念物の多くは昭和33年4月1日に指定されていますが、八上神社の近くにある田中神社の森はそれらに先んじて昭和31年11月13日に指定されています。これが和歌山県指定天然記念物の第1号。

八上神社の森は県指定天然記念物にはなっていません。激しい神社合祀が行われていた時期には氏子さんたちが抵抗して森を守りましたが、その後、たぶん戦時中か戦後かに伐採されてしまったのでしょう。森が残されていたら田中神社の森とともに指定されていただろうと思います。

八上神社の森が伐採されてしまったので、田中神社の氏子さんたちが森を伐採されないように田中神社の森の天然記念物指定を急いだのではないか、と想像します。

熊楠が「シイノキ密生して昼もなお闇く、小生、平田大臣に見せんとして写真とりに行きしに光線入らず、止むを得ず社殿の後よりその一部を写せしほどのことなり」と述べた森がかつて八上神社にはありました。
http://www.minakatella.net/letters/2sho12.html

国の名勝「南方曼陀羅の風景地」のひとつ、田中神社

田中神社

昨日の田中神社
国の名勝「南方曼陀羅の風景地」のひとつで、南紀熊野ジオパークのジオサイトのひとつ。

田中神社

田中神社のオカフジ

オカフジ。

この辺に柳田國男氏が本邦風景の特風といった田中神社あり、勝景絶佳なり。
(松村任三宛南方熊楠書簡、明治四十四年八月二十九日付『南方熊楠全集』七巻)

民俗学者の柳田國男が日本に特有の風景だと言った田んぼの中にある神社。それがこの辺りにもあって、素晴らしい風景だ、と熊楠は述べています。
http://www.minakatella.net/letters/2sho12.html

ここは残念ながら神社合祀で他の神社に神様を持っていかれて神社としては潰されてしまいました。けれども、森だけは守っておけという熊楠の助言にしたがって住民たちが森を守りました。