なぜ熊野は日本の聖地となったのか、3つの要因

4月20日放送の「ブラタモリ#131」で、なぜ熊野は日本の聖地になったのかということをテーマにタモリさんが那智をブラブラ歩いてくれました。

番組は最後、那智の浜を訪れて終わりました。
番組では触れませんでしたが、熊野が日本の聖地となった理由を示す、よい締めくくりだと思いました。

なぜ熊野が日本の聖地になったのか。私もここで綴ってみます。
動画も公開しましたので、ぜひご覧ください。

熊野は日本第一大霊験所、日本で一番霊験あらたかな場所であるとされ、日本中の人たちがそこに行きたいと憧れる特別な聖地でしたが、熊野がそうなったのには複数の要因があります。

私が考える要因は主に3つ。
1. 京から見て南の果てに位置すること
2. 京から遠いが、なんとか歩いていける距離であること
3. 修験道の一大拠点となったこと

3つのうち2つが地理的なことです。
熊野が日本の聖地となったのはまずは地理的な条件に依るところが大きかったのではないかと思われます。

熊野は京から見て南の果てに位置します。
熊野は海に向かって突き出た紀伊半島にあり、そこから先は海です。
熊野が南の地の果てでした。
地の果てはこの世の果てであり、そして、あの世への入り口、神仏の世界への入り口でした。

そして、熊野は京から遠く離れてはいますが、京の人がなんとか歩いていける距離にありました(徒歩で往復で20日程度)。

南の果てに位置したことと、適度に遠い距離にあったことが、熊野が日本の聖地になった大きな要因だと思います。

これらの地理的な条件の次に重要だと考えられるのは、熊野が修験道の一大拠点となったことです。

山に籠って修行し、悟りを得ようという修験者、山伏にとって、地の果てにあり、京から適度に遠く、そして温暖多雨で豊かな森に覆われた熊野の山々は格好の修行の場であったと思われます。

その修験者が上皇を熊野に連れてきました。
修験者が熊野の霊験を上皇(退位した天皇)に伝え、上皇を熱心な熊野信者にしました。
平安時代から鎌倉時代にかけて行われた上皇による熊野詣の回数はおよそ100回です(鳥羽上皇が21回。後白河上皇が34回。後鳥羽上皇が28回)。

上皇たちを熊野に連れてきたのが修験者、山伏でした。
修験者が熊野の霊験を上皇に伝え、上皇を熱心な熊野信者にしました。
度重なる上皇たちの熊野詣のおかげで、熊野は日本の聖地となりました。

地理的な条件2つに加えて、修験道の一大拠点となったことが熊野が日本の聖地となった要因です。
その熊野が修験道の一大拠点となった理由も地理的な条件や地形、自然環境にあると思われるので、熊野の大地、熊野の自然が熊野を日本の聖地にしたということが言えます。

1. 京から見て南の果てに位置すること
2. 京から遠いが、なんとか歩いていける距離であること
3. 修験道の一大拠点となったこと

この3つの他にも様々な事情、様々な物事が絡み合って、日本の聖地としての熊野が出来上がっていったと思われますが、その土台には熊野の大地、熊野の自然があります。