熊野地方の漁村出身の日系人たちが作っていたチキン・オブ・ザ・シー

マグロ油漬け缶詰は20世紀初頭のアメリカで発明されました。
その缶詰は鶏肉のように食べやすいことからチキン・オブ・ザ・シー(海の鶏肉)と名付けられました。

はごろもフーズが製造しているツナ缶のシーチキンという商品名は、このチキン・オブ・ザ・シーに由来します。

チキン・オブ・ザ・シーを作っていたのが、ロサンゼルス港の人工島ターミナルアイランドに住み着いた太地を中心とした熊野地方の漁村出身の日系人でした。男たちは海で漁師として働き、女たちは工場で魚をさばき缶に詰める作業に従事しました。

彼らは日米開戦により強制収容所に入れられ、ターミナルアイランドの日本人村も更地とされました。

終戦により解放された彼らはその後も大半はアメリカに住み続けました。

これらのことは、村井章介 監修、海津一朗 ・稲生淳 編著『世界史とつながる日本史 紀伊半島からの視座』の第23章、中西健「 クジラの町の移民から学ぶ国際理解」に書かれています。多くの和歌山県民に読んでいただきたい1冊です。

このような地域の移民の歴史を知ると、日本で働く外国人にも親しみを感じるようになります。地域の移民の歴史を学ぶことは、日本が多文化共生社会を築いていくうえで重要な取り組みであるように思います。