中世の熊野詣の衣装

白装束

平安衣装コスプレで熊野詣って楽しそうでいいんだけれども、実際の中世の熊野詣の衣装は白装束だったことを、衣装を貸しているお店では伝えているのでしょうか。

観光のPRにも平安衣装が使われるから、もしかしたら、きらびやかな衣装で熊野詣をしたと勘違いしている人も多いのかもしれません。

熊野は再生の地とか甦りの地とかいわれますが、再生するには、甦るためには、いったん死ななければいけません。

熊野は浄土の地であると見なされたので、熊野(=浄土)に入るには、いったん死ななければならず、熊野詣は「葬送の作法」をもって行なわれました。だから衣装も死装束でした。

儀礼的に、死んで甦るのが熊野詣でした。
熊野詣とは?:熊野入門

藤原定家の『熊野道之間愚記(後鳥羽院熊野御幸記)』には衣装について以下のように記されています(私による現代語訳)。

よって折烏帽子に、浄衣を身につけて〔短袴、あこめ、生小袴、下袴、脛巾は白を用いる。……〕、
http://www.mikumano.net/ryokouki/teika1.html

きらびやかな平安衣装はあれはあれで楽しそうですし、イベントのときなども華やかでいいと思いますが、本当は白装束であったことを伝えないと、中世の熊野詣が物見遊山的な旅であったかのように誤解されてしまいそうです。

コスプレとして楽しむというのはありだと思うのですが、熊野古道の観光PRにきらびやかな平安衣装を使うのは、もう止めたらどうかな、と思います。

再生の地・甦りの地であったという熊野の価値を、あえて低めて伝えてしまっていることになるので、ちょっと残念です。

写真は那智参詣曼陀羅より。

南方熊楠顕彰館で企画展「サンティアゴ巡礼道と熊野古道」

南方熊楠顕彰館で、企画展「サンティアゴ巡礼道と熊野古道」が昨日1月17日から始まりました!

熊楠は今から100年ほど前に、「十二支考」の一篇「鶏に関する民俗と伝説」で、サンティアゴ巡礼と熊野詣のことに触れています。

今も南紀の小児、蟻を見れば「蟻もダンナもよってこい、熊野参りにしょうら」と唱うるは、むかし熊野参り引きも切らざりしこと、蟻群の行列際限を見ざるようだったに基づく。それと等しく、銀河中の星の数、言語に絶しておびただしきを、サンチアゴ詣での人数に比べたのだ。
(「鶏に関する民俗と伝説」『全集』1巻)

サンティアゴ巡礼道と熊野古道。この二つの道は現在、数百キロメートルに及ぶ道としては世界でただ二つの世界遺産の道となっています。

今から百年ほど前に、熊野古道がサンティアゴ巡礼道に匹敵するほど価値のあるものだということが熊楠にはわかっていたのでしょう。