ヨセミテ、イエローストーン、熊野

ヨセミテ
トンネルビューから望むヨセミテ渓谷、ヨセミテ国立公園(アメリカ合衆国、カリフォルニア州)
Diliff-投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

神社合祀反対運動は決して南方熊楠一人で行われたものではありません。神社の氏子たちの合祀への抵抗があって初めて合祀や森の伐採を食い止めることができました。

下に引用するのは、和歌山県近野村近露(現・田辺市中辺路町近露)に住む野長瀬忠男という青年が当地の新聞『牟婁新報』に寄稿した文章の一節です。

史跡や自然物の保護につきて一二外国の例を挙げて見ると非常な勇気無類の金力を振って突進しつつある新進気鋭の米国、悪く言えば飛上り者の成金ともいうべき彼等の国、カリフォルニア州の有名なる景勝地ヨセミテバレーのような所では一本の木一筋の草でさえ決して粗末にせぬ。国庫から金をかけてバレー全体を保護し草や木の世話をして居る。土地の人民も能く注意してそこの動植物を保護して居るのは驚くばかりである。

さらに驚くべきはワヨミング、モンタナ、アイダホの三州に跨って居る、エローストーンの国民公園(ナショナルパーク)である。その規模の雄大風景の絶佳なる到底拙い筆では書けぬ。同公園内に田辺湾を十う集めたくらいいの湖水があって有名な温泉が数多ある。同公園全体の大きさは我東西牟婁二郡寄せたよりももっと大きい。文豪ワシントンアーヴィングのいわゆる『自然が技巧を尽した奢侈』をこの一所に集めて居るともいえるこの雄大な景勝地が、米人の手で完全に保護されて居るという事は、我等日本人といえども深く感謝せねばならん事である。

野長瀬忠男「神社合祀跡の神木濫伐禁止の急務(下)」『牟婁新報』明治44年10月15日付
イエローストーン国立公園
Grand canyon located in the Yellowstone National Park
Karthikc123-投稿者自身による作品 , CC 表示-継承 3.0, リンクによる

明治時代の熊野にこのような人物がいたのかと驚かされますが、神社跡地の森の伐採禁止を訴えたこの文章の中で野長瀬はヨセミテ国立公園やイエローストーン国立公園といったアメリカの自然保護の事例を紹介しました。

本県のような、交通未だ開けず、多くの山村僻村を抱有して居る地方で、一村に二社や三社くらいの神社があるという事は人民の敬神観念持護上または養成上、大いに利益コソあれ何の弊害も無い。しかるに本県で多くの神社が破壊乱滅の厄運に罹り、却って由緒もゆかりも無い禿山や、または三里も四里もある他村へ合祀された事は我等の実に感服せざる所である、イヤ、日本国民として村落の人民として、実に言うに忍びざる苦痛である。

野長瀬忠男「神社合祀跡の神木濫伐禁止の急務(上)」『牟婁新報』明治44年10月13日付

野長瀬もまた神社合祀が人の心や地域社会に悪影響を与えることを憂い、神社の森を保護を訴えました。

せめて主なる旧神社跡の社地や神木はそのまま保存して村の公園として置き、時には村人が打ち寄って角力取るもよろしい、村芝居をやるのも結構、演説をするもよし、時には大勢寄って飯を炊いて食うのもよろし、要するに村の人民全体あるいは青年の娯楽修養の場所として永久に保存し使用し一方国宝として保護するように勤むれば風致体面の上から見ても誠に奥床しい事である。

野長瀬忠男「神社合祀跡の神木濫伐禁止の急務(下)」『牟婁新報』明治44年10月15日付

合祀されて潰されてしまったものの自分の村の神社が国宝級の価値のある場所なのだということを野長瀬は確信していました。その確信の正しさは後に熊野古道が世界遺産になることで証明されます。

しかるに我国民自らその神社を破壊し神木を乱伐し尽そうとするのは如何にも愚かな行いではあるまいか。私は切に望む。前に述べた近露や野中の旧神社のような由緒あり歴史ある古い神社跡及び神木等はお宮様のある無しに拘らず、国宝として大切に保存して置きたい。

かの幾百歳であるか、年齢の推測も出来ぬような大樹、後で取返しの出来ぬその土地、その国の記念物である所の老木古杉をたった千や二千の端金に代えて、伐倒してしまうのは村民としてまた帝国臣民として如何にも愚の極であると思う、かくの如き愚行を敢えてしては、我等の子孫や後世に対しても重々相済まぬ。当局の諸氏もこれに関係する町村の人民諸君も篤と御反省あらん事を切望する。

前同

野長瀬の「かくの如き愚行を敢えてしては、我等の子孫や後世に対しても重々相済まぬ」という言葉、そのような考え方は地域経営において重要だと思います。千年の誇るべき歴史がある熊野のような地域では、目先のことだけでなく百年後、千年後の未来のことも考えて地域経営をしなければならないと思います。

継桜王子の野中の一方杉

近野村の継桜王子で森は伐られてしまったものの、「野中の一方杉」と呼ばれる参道沿いの8本の大杉を守ることができたのは野長瀬や熊楠の戦いの成果でした。

野長瀬忠男は、大塔宮護良親王に従って南朝の忠臣として活躍した野長瀬一族の末裔。後に「東京車輪製作所」という自動車用車輪製造会社を創業し、現在もあるトピー工業株式会社の創業者の一人となります。弟が日本画家として知られる野長瀬晩花(本名は弘男)。『ウルトラQ』や『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の監督として知られる野長瀬三摩地は晩花の子であり、野長瀬忠男にとっては甥に当たります。

オンラインサロンでの回答についての訂正

オンラインサロン「みんなの森のサロン」様で「森と熊楠」をテーマにゲストとしてお話させていただいときに、お話したことに関して一つ訂正があります。

ご質問に対する回答で熊楠が護身用に鉄アレイを枕元に置いていたというようなことをお話しましたが、それは私の記憶違いでした。

私はいざというときは鉄アレイを武器に戦うというようなことだといつの間にか思っていたのですが、正しくは、鉄の棒で毎日鍛えているから襲われてもなかなか負けないよ、ということでした。お詫びして訂正いたします。

那智山濫伐の姦徒は本月三日裁判のところ、何か訳あり、二十一日とかに延び候由、花井卓蔵弁護に来る由なり。かの巨魁津田というのはなかなかの姦雄にして子分多く、その中には生死知らずの者多し。故に小生、事により襲わるるも知れず候。しかるに小生また大武力あり、三十余斤の鉄棒を昼夜牀頭に置き、毎日一上一下上三下四と稽古しおれば、なかなか三、四人ぐらいのものにまくること成らず、ここが見物なり。いわんやこの辺の漁民、仲仕、人足、小百姓、博徒、みな子分なれば、いよいよ襲撃とならば、これこそ見物ならん。

柳田國男宛書簡、明治44年10月16日付『南方熊楠全集8巻』平凡社

熊楠は柳田國男に宛てた書簡の中で「那智山伐採を目論んだ悪者の子分に襲われるかもしれないが、小生には大武力がある。三十余斤(18kg以上)の鉄の棒を寝床のそばに置き、毎日上げ下げして稽古しているので、なかなか3〜4人ぐらいの者には負けない。ここが見物だ」というようなことを書いています。

熊楠はこの後さらに「ましてや、この辺の漁民、仲仕(なかし:港などで船の貨物をかついで運ぶ作業員)、人足、小百姓、博徒、みな小生の子分なので、いよいよ襲撃となれば、これこそ見物であろう」と続けています。

メモ、南方熊楠の文章から玉置山について

玉置神社

先日久しぶりに玉置神社にお参りしました。熊野三山の奥の院ともいわれる神社です。

南方熊楠も玉置神社をお参りしたことがあり、熊楠の文章から玉置神社についての部分を抜き書きします。

大和吉野郡十津川の玉置山は海抜三千二百尺という。予も昨秋末詣りしが、紀州桐畑より上るは、すこぶる険にして水なく、はなはだしき難所なり。頂上近くに大いなる社あり。

その神狼を使い者とし、以前は狐に付かれしもの、いかに難症なりとも、この神に祈り蟇目(ひきめ)を行なうに退治せずということなく、また狐人を魅(ばか)し、猪鹿田圃を損ずるとき、この社について神使を借るに、あるいは封のまま、あるいは正体のまま渡しくれる。

正体のままの場合には、使いの者の帰路、これに先だち神使狼の足跡を印し続くるを見、その人家に達する前、家領の諸獣ことごとく逃げおわるという。

また伝うるは、夜行する者、自宅出づるに臨み、「熊野なる玉置の山の弓神楽」と歌の上半を唱うれば、途上恐ろしき物一切近づかず。さて志す方へ着したる時、「弦音きけば悪魔退くさし」まさとやらかすなり、と。前述、送り狼の譚は、これを言えるか。

社畔に犬吠の杉あり。その皮を削り来て、田畑に挿(さしはさ)み悪獣を避けしという。守禦の功、犬に等しという意か。

南方熊楠「小児と魔除」(『南方熊楠全集2』平凡社、118-119頁)
玉置神社
玉置神社 神代杉
玉置神社 神代杉
玉置神社 夫婦杉
玉置神社 夫婦杉