明日は今年2度目の湯登神事

明日10月13日には今年2度目の湯登神事を行ないます。湯登神事を年に2度行うのは、たぶん熊野本宮大社2050年の歴史上初めてのことです。

通常、湯登神事は熊野本宮大社例大祭の初日4月13日に1度行われるだけです。

湯登神事について文化人類学者の鈴木正崇先生のご著書より。

湯登は精進潔斎して山に登り、稚児は十二所権現のお使いとして拝所ごとに八撥(やさばき)の舞を奉納して神降ろしをする。湯(ユ)は潔斎だけでなく、斎(ユ)にも通じ神降ろしも意味する。湯登は多義的な湯の意味づけで成り立つ。
(鈴木正崇『熊野と神楽 聖地の根源的力を求めて』12頁、平凡社)

明日、私は裃を来て湯の峰温泉から大日越えをします。

湯登神事の後は八咫の火祭りにも参加します。

奥三河の花祭と折口信夫

熊野信仰が成立に関わる奥三河(愛知県北設楽郡一帯)の神事芸能、花祭。
奥三河の花祭に魅了されて通う者を「花狂い」と呼びますが、その1人に民俗学者の折口信夫がいました。

第26回南方熊楠賞を受賞された中沢新一先生の文章にそのことに触れたものがあるのでここに引用します。

ところでここで私が読者の注意を喚起したいのは、折口信夫の民俗調査旅行が、まさにこの地帯でくり広げられたという事実である。信州と三河と遠州の県境地帯には、花祭や冬祭や霜月祭の名前で知られる中世芸能が、いまにいたるまで豊かに伝承されている。そのことを知った折口信夫は、足繁くこの地帯を訪れて、失われてしまった原初の芸能の息吹に触れようとした。
中沢新一「折口信夫と天竜川」

折口は「原初の芸能の息吹」に触れるために花祭に通い詰めました。

花祭は熊野信仰が奥三河に定着して創造された神事芸能。

釜で湯を沸かして神霊に捧げ、その湯で人々を浄める熊野の湯立神事が、鎌倉時代末期から室町時代にかけて熊野の修験者により奥三河に伝えられ、そこから現地で独自の発展を遂げたのが花祭だと考えられます。

今年12月8日(土)、熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年の時を経て、熊野に里帰りします。その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

花祭熊野公演チラシの印刷用のPDFデータを公開しています。
ダウンロードしてプリントアウトしてご利用ください。お店などに貼って宣伝にご協力していただけたら助かります。写真を撮るなどして、TwitterやInstagramでハッシュタグ「#熊野花祭」をつけてご投稿いただけたら嬉しいです。

できるだけ多くの方々に来ていただきたいので、ご協力よろしくお願い申し上げます。

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12月8日、熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年のときを経て、熊野に里帰りします!

今年12月8日(土)、熊野本宮大社旧社地にて奥三河の花祭の公演を行います。

熊野信仰が成立に関わる神事芸能は全国各地にありますが、その代表格とも言えるのが奥三河の花祭です。

奥三河(愛知県北設楽郡一帯)に伝わる花祭は、「花(花祭)に入らずば、日本の伝統芸能は語れない」といわれる日本を代表する民俗芸能で、国指定重要無形民俗文化財。

釜で湯を沸かして神霊に捧げ、その湯で人々を浄める熊野の湯立神事が、鎌倉時代末期から室町時代にかけて修験者により奥三河に伝えられ、そこから現地で独自の発展を遂げたのが花祭だと考えられます。

花祭は熊野信仰が奥三河に定着することで創造されました。熊野三山では残念ながら湯立神事は失われてしまいましたが、熊野から離れた奥三河の地で独自の発展を遂げて、脈々と受け継がれていることは嬉しく思います。

熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年の時を経て、今年12月8日、熊野に里帰りします。その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

主催は、私も一員である熊野花祭を実現するために集まった有志「熊野でテホヘ実行委員会」。「テホヘ」は花祭のなかで観衆が神楽の舞い手にかける掛け声。
共催は月花祭保存会(愛知県北設楽郡東栄町)。協賛は熊野本宮大社

花祭熊野公演チラシの印刷用のPDFデータを公開しています。
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できるだけ多くの方々に来ていただきたいので、ご協力よろしくお願い申し上げます。

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花祭熊野公演にあたって熊野でテホヘ実行委員会では、寄付や、当日会場で配布するリーフレットへの広告掲載の募集をしています。どうかご協力お願い申し上げます。

熊野でテホヘ寄付申し込みフォーム(1口3000円から)

広告掲載についてはこちらのメールフォムでお問い合わせください。(1口5000円から)

6月6日は梅の日

6月6日は「梅の日」。毎年、熊野本宮大社では記念式典が行われます。

いま土用丑の日にウナギを食べる風習がありますが、梅干しを食べるようにしたらいいのに、と思います。

もともと土用丑の日に「う」のつくものを食べたら夏負けしないということだそうですから。

梅干しの他に、うどんとか瓜とか、「う」のつく食べ物を。

2014年にニホンウナギがIUCN(国際自然保護連合)により絶滅危惧種に指定されました。ヨーロッパウナギもアメリカウナギも絶滅危惧種。太平洋海岸周辺やインド洋海岸周辺に生息するビカーラ種も準絶滅危惧種。

一時に大量にウナギを消費するという風習はもう止めにしたいです。

山本玄峰老師の毎歳忌法要に参列

本日6月3日は山本玄峰老師の命日。毎歳忌法要に参列しました。

その名は知らなくとも、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言は誰もが知っていることと思います。

山本玄峰老師は、時の総理の相談役を務め、太平洋戦争終結に尽力し、また天皇を国家の「象徴」とするよう示唆するなどした熊野出身の禅僧です。

太平洋戦争における日本の降伏を国民に伝えた玉音放送の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言は、山本玄峰老師が鈴木貫太郎首相に宛てた書簡の一節から取られたものだと言われています。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」は禅宗ではよく使われる文言のようで、これを使って鈴木首相を励ましたのでしょう。

玄峰塔

山本玄峰はまぎれもなく熊野が誇る偉人の1人であり、毎年命日にはその遺徳を忍び、湯の峰温泉の玄峰塔の前で午前10時から毎歳忌法要が営まれます。

山本玄峰は慶応2年生まれ。南方熊楠より1歳年上です。

大逆事件で逮捕され無期懲役となった成石勘三郎の仮出獄を請川村(現・和歌山県田辺市本宮町請川)の人たちが請願したときに、山本玄峰と南方熊楠がなんらかの力添えをしたようですが、2人がお互いをどう思っていたのか、気になるところです。

2人が出会ったことはなかったと思われますし、もしかしたらお互いに存在すら知らなかったということもあるかもしれませんが。

玄峰老師の遺書をここに。

竜沢寺、松蔭寺の住職たるものは、東嶺(竜沢寺開創)、遂翁(松蔭寺2代住職)の侍者たるべし。世の常の和尚ぶりとなること勿れ。正法興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ。よろしく正法を守り仏法を興すべし。自分の葬儀は絶対に行わざること。
(山本玄峰『無門関提唱』大法輪閣、「寿譜」より)

「性根玉(しょうねったま)を磨け、陰徳を積め」が玄峰老師の教えでした。