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フェアトレードは、貿易のしくみをより公平・公正にすることにより、特に開発途上国の小規模生産者や 労働者が、自らの力で貧困から脱却し、地域社会や環境を守りながら、サステナブルな世界の実現を目指す取組みです。
フェアトレードとサステナビリティ|フェアトレードとは?|fairtrade japan|公式サイト
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米国によるビキニ環礁水爆実験で一九五四年に被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」を保存する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)が、東京五輪・パラリンピック期間に合わせて休館する。展示館がある夢の島公園はアーチェリー会場となり、警備で園内の通路が封鎖され、展示館に行くのが困難になるためだ。核廃絶に取り組む市民からは、国内外から観戦客らが訪れる絶好の機会に、核兵器による被害の悲惨さを伝えられないことを惜しむ声が上がっている。
東京新聞:<2020年 核廃絶の「期限」>五輪パラ期間・前後 第五福竜丸館休館 競技会場すぐそば:政治(TOKYO Web)
残念。オリンピック・パラリンピックは平和の祭典なので、だからこそ開館できたらよいのに、と思います。
第五福竜丸は被曝時、静岡県焼津市の焼津港を母港とするマグロ漁船でしたが、建造されたのは和歌山県古座町(現・串本町)でした。
第五福竜丸はアメリカが設定した危険水域の外で操業していましたが、実際の威力はその想定よりも遥かに大きかったために多量の放射性降下物「死の灰」を浴び、船員23名全員が被爆しました。
古座川河口付近には「第五福竜丸建造の地」の碑が立てられています。
この水爆実験に巻き込まれた日本の漁船は第五福竜丸だけではありませんでしたが、他の漁船の被曝については公にされませんでした。
神倉神社が廃社となって復社するまでの間のお燈まつりは行われていなかったのでは、というようなことを先日書いたのですが、どうも違うかも。
新宮の教師で郷土史家の小野芳彦が田辺町の地方新聞『牟婁新報』の社主・毛利清雅(南方熊楠の神社合祀反対運動の盟友)に宛てた書簡が『牟婁新報』明治43年(1910年)4月9日付の紙面に掲載されていますが、そこには神倉神社について次のように書かれています。
……速玉神社の摂社としてその小祠は速玉社内に遷されたるも、その祭儀御燈祭は旧に依り、かの百尺懸崖の頭にて行い居り、……
毛利清雅「新宮町に於ける神社合祀の惨状……志士仁人は此通信を何んと見るか……」『牟婁新報』明治43年4月9日付
この小野芳彦の書簡によると、神倉神社が速玉神社(現・熊野速玉大社)に合祀されて廃社となった後も、お燈まつりは廃止されずに昔のように神倉山で行っているとのこと。
廃社になった神社のお祭りは普通廃止されると思うのですが、旧社地が公売されなかったことと合わせて神倉神社の合祀は異例づくしのものであったようです。
明治42年(1909年)の新宮の地方新聞の記事の中で、熊野地方の火祭りといえば那智の扇祭りと佐野の柱松の2つだと書かれたのは、お燈まつりが行われていなかったのではなく、他に何か事情があってお燈まつりを熊野を代表する火祭りには挙げられなかったということなのかもしれません。
神倉神社が廃社になったのが明治40年(1907年)で、復社するのが大正7年(1918年)。この間のお燈まつりについては『牟婁新報』の復刻版を見れば確認できるかな。
新宮町の地方新聞には『熊野新報』『熊野実業新聞』『熊野日報』があったけれど、復刻版は出てないですよね?