疫病除けの護符

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アマビエを描いた当時の瓦版 不明 – scanned from ISBN 4-7601-1785-7., パブリック・ドメイン, リンクによる

最近話題の妖怪、アマビエ。

江戸時代に肥後国(熊本県)に現れたと伝えられている。
弘化3年(1846年)の4月の中旬頃。毎晩のように海中に光る物体が出現していたため、ある夜に町の役人が海へ赴いたところ、このアマビエが現れていた。その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われ、三本足であった。
役人に対して自らを「海中に住むアマビエである」と名乗り、「この先6年間は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。
この話は当時の瓦版で人々に伝わり、アマビエの姿も瓦版に描かれて人々に伝えられた。

アマビエ – Wikipedia

海中から現れ、豊作や疫病などの予言し、その姿を描いた絵は疫病除けの護符となるとされる妖怪。

黒尊仏
黒尊仏

昔は疫病に対しては神仏にすがることくらいしかなかったので、全国各地の神社やお寺で疫病除けの護符が発行されていたのだと思いますが、江戸時代の紀伊国の地誌『紀伊続風土記』には津荷谷村(現・和歌山県田辺市本宮町)の黒尊仏の疱瘡護符が記載されています。

疱瘡は天然痘。今は根絶されましたが、予防法のなかった時代には非常に強い感染力と非常に高い致死率(約20%から50%)で恐れられた感染症です。

黒尊仏の疱瘡護符がどんなのものだったのかはわかりません。
どこかに残っていないかな?

本日3月5日は巫女の日ですが

巫女

本日3月5日は巫女の日。

明治時代、政府は近代化の名の下に日本の文化の破壊を押し進めました。巫女も新時代の神社には不要のものとされ、明治6年(1873年)の「梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件」、いわゆる巫女禁断令により巫女による託宣や占いは禁止されました。

託宣や占いをするのが巫女でした。熊野の巫女も託宣や占いをしました。

熊野の巫女はかつてはイタと呼ばれました。熊野の神はイタを通して託宣を下しました。イタは神憑かりして神のお告げを伝えました。

那智には元々巫女はいませんでしたが、本宮や新宮では巫女の存在は重要であり、巫女から神託を受けることが参詣者の目的のひとつでもありました。

保元物語』や『源平盛衰記』には熊野のイタが登場します。能の「巻絹」では熊野本宮の巫女が主役です。

そのような巫女は巫女禁断令以降、存在を許されなくなりました。

熊野本宮大社氏子総代会の総会に出席

本日、熊野本宮大社氏子総代会の総会に出席しました。

熊野本宮大社例大祭・本宮祭が近づいてきました。

今年は新型コロナウィルスの感染状況によってお祭りの変更、縮小をさせていただく場合がありますので、ご了承ください。

本宮祭は4月13〜15日に斎行されます。