南紀熊野観光塾から帰ってきたら、宝島社さんからゆうメールで本が届いていました。
私が作っている梛の葉ペンダントなどを紹介してくれています。ありがとうございます♪
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南紀熊野観光塾から帰ってきたら、宝島社さんからゆうメールで本が届いていました。
私が作っている梛の葉ペンダントなどを紹介してくれています。ありがとうございます♪
昨日の南紀熊野観光塾2日目のグループ討議「いい商品とは何か?」。
ちゃんと考えて言葉にしたことがなかったので、自分の考えを整理するのによい時間となりました。
私が商品を作るときに心がけていることを、この機会に書きとめておきます。
・熊野が好きな人に喜んでいただける商品であること。
・熊野は日本にとって特別な場所なのだというプライドを持って作ること。
熊野はかつては日本の宗教の中心地でした。日本人の心の拠り所でした。日本の歴史や文化に多大な影響を与えた特別な場所です。ここは熊野だというプライドを持って私は商品を作っています。
・地域の素材を使うこと。
物資的な材料だけでなく、歴史や文化なども含めて地域の素材を活用して、熊野ならではの商品を作る。
・お客様の期待を越えること。
お客様の期待を越えないことには次がないので。
・人間以外のものへの配慮をすること。
商品の物質的な材料となるのは人間以外のもの。動物や植物や鉱物。それらへのダメージをできるだけ小さくする。
・「この商品で世の中を少しでもよくするのだ」という思いを込めること。
私は梛(ナギ)の葉を使って商品を作っています。梛の木は熊野のご神木。その葉の1枚1枚には熊野の神様が宿るとされました。
「私たちの神様は1枚の木の葉っぱに宿るのだ」「木の葉っぱに神様が宿るという感性って素晴らしいと思いませんか」というようなメッセージを込めて、私は梛の葉の商品を作っています。
1枚の木の葉っぱに神様が宿るとする感性を伝えることは、本当に小さなことですが、世の中を少しでもよくすることに繫がっていくことだと私は考えています。
今から100年ほど前の1908年11月23日、新嘗祭の日に南方熊楠は熊野本宮大社を訪れました。熊楠は本宮について次のように記しています。
しかるに、在来の社殿、音無川の小島に在せしが、去る二十二年の大水に諸神体、神宝、古文書とともにことごとく流失し、只今は従来の地と全く異なる地に立ちあり。万事万物新しき物のみで、露軍より分捕の大砲など社前に並べあるも、これは器械で製造し得べく、また、ことにより外国人の悪感を買うの具とも成りぬべし。
(「神社合祀に関する意見(原稿)」白井光太郎宛書簡、明治45年2月9日付『全集』7巻)
http://www.minakatella.net/letters/gosiiken4.html
当時、熊野本宮大社の社殿の前にはロシア軍から分捕った大砲が並べてありました。
それを熊楠は、外国人が本宮を訪れたときに悪感情を抱く元となるであろうと指摘しています。
熊楠は今から100年ほど前にすでに、外国人旅行者が熊野を訪れたときのことを考えていたのです。
写真は明治22年の大水害で遷座する以前の熊野本宮大社。