本日3月5日は巫女の日ですが

巫女

本日3月5日は巫女の日。

明治時代、政府は近代化の名の下に日本の文化の破壊を押し進めました。巫女も新時代の神社には不要のものとされ、明治6年(1873年)の「梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件」、いわゆる巫女禁断令により巫女による託宣や占いは禁止されました。

託宣や占いをするのが巫女でした。熊野の巫女も託宣や占いをしました。

熊野の巫女はかつてはイタと呼ばれました。熊野の神はイタを通して託宣を下しました。イタは神憑かりして神のお告げを伝えました。

那智には元々巫女はいませんでしたが、本宮や新宮では巫女の存在は重要であり、巫女から神託を受けることが参詣者の目的のひとつでもありました。

保元物語』や『源平盛衰記』には熊野のイタが登場します。能の「巻絹」では熊野本宮の巫女が主役です。

そのような巫女は巫女禁断令以降、存在を許されなくなりました。

熊野本宮大社氏子総代会の総会に出席

本日、熊野本宮大社氏子総代会の総会に出席しました。

熊野本宮大社例大祭・本宮祭が近づいてきました。

今年は新型コロナウィルスの感染状況によってお祭りの変更、縮小をさせていただく場合がありますので、ご了承ください。

本宮祭は4月13〜15日に斎行されます。

黒尊仏の疱瘡護符

黒尊仏
黒尊仏

疱瘡(ほうそう)除けに霊験があるとされた黒尊仏の疱瘡護符、どんなだったのかな? どこかに残っていないかな?

疱瘡は天然痘。今は根絶されましたが、非常に強い感染力と高い致死率のために恐れられた感染症です。

黒尊仏は疱瘡神と崇められた高さ30m以上の岩。『紀伊続風土記』には「倶盧尊仏」の名で以下のように記されています(私による現代語訳)。

○ 倶盧尊仏
村の東の谷にある。高さ十余丈の巌をいうのだ。疱瘡神と崇める。また鉾島ともいう。奉祭する者から村民に疱瘡護符を出す。

『紀伊続風土記』津荷谷村(現代語訳)

黒尊仏は疱瘡神と崇められ、祈ると疱瘡をまぬがれると信じられ、村民に疱瘡護符が出されました。

黒尊仏
黒尊仏