河内祭、宵宮の夜籠神事

昨夜は国指定無形民俗文化財の「河内祭の御舟行事」の一つである宵宮の夜籠神事を見に行きました。

河内祭(こうちまつり)は以前は毎年7月24・25日に斎行されていましたが、今は毎年7月第四土・日曜日に斎行されます。

夜籠神事は7月第四土曜日の午後7時半頃から。河内神社の御神体である河内島の周りを、御舟謡(みふねうた)を歌いながら御舟が3周します。

熊野地方にある国指定無形民俗文化財の祭りは3つ。あとの2つは「那智の扇祭り」と「新宮の速玉祭御燈祭り」。

3つとも無社殿神社を重要な祭事の場とするお祭りです。

無社殿神社の多くは明治末の神社合祀で潰されましたが、熊野地方にある国指定無形民俗文化財のお祭りのすべてにおいて無社殿神社が祭事の場となるのは、やはり熊野地方における無社殿神社の大切さを物語っているように思います。

土用丑の日には、うなぎ以外の「う」のつくものを

土用丑の日が近づいてくるといつも書いていることですが、ニホンウナギは絶滅危惧種です。

2014年にニホンウナギがIUCN(国際自然保護連合)により絶滅危惧種に指定されました。ヨーロッパウナギもアメリカウナギも絶滅危惧種。太平洋海岸周辺やインド洋海岸周辺に生息するビカーラ種も準絶滅危惧種。

一時に大量にウナギを消費するという風習はもう止めにしたいです。

もともと土用丑の日に「う」のつくものを食べたら夏負けしないということだから、梅干し等を食べるようにしたらいいのに、と思います。

ハリファックス老師が熊野を訪れたときのインタビュー動画

リンク先にアメリカ仏教の女性仏教指導者ハリファックス老師が熊野を訪れたときのインタビュー動画があります。
https://kiipeninsula.com/introduce/bringing-compassion-forward/

「熊野の豊かな自然と長い歴史が熊野を特別な場所にしています。熊野は日本だけでなく地球にとっての宝です」

「熊野の自然は細やかな心配りで保護され生き生きと輝いています。大切なことは熊野を消費主義や自然破壊から守ることだと思います」

「熊野は女性を尊重し、女性が参加して来た歴史があります。ここでかたちづくられる世界にはいつも女性がいたのです。女性の価値と男女平等を実践してきた土地なのです」

「これからも熊野が再生と蘇りの地であり続けること、そして自然と人間が調和して暮らすお手本として世界中に評価されることを願っています」

ハリファックス老師が熊野に敬意を抱いてくださっていることが伝わってきて、嬉しくなりました。

新宿熊野ツアー 熊野ミニレクチャー

熊野にルーツを持つ”中野長者”鈴木九郎ゆかりの成願寺十二社熊野神社などをめぐったあと、角筈地域センターの会議室で熊野についてのミニレクチャーをさせていただきました。

内容は熊野の魅力について。話した内容の一部をここで紹介させたいただきますと、次のような感じです。

熊野の魅力っていろいろとあると思いますが、古くから神聖な土地だと考えられてきたということが一番の魅力だと私は思っています。

「み熊野」という言葉がありますが、これは、み+熊野で、「み」は神様のものを表わす接頭語です。

神様のものを表わす接頭語「み」が冠された地名は古代では、み熊野・み吉野・み越路の3つだけ。神聖な土地に「み」が冠されました。「み」にはその土地に対する畏敬や憧憬の念が込められています。

熊野には「日本第一大霊験所」の称号が与えられました。

日本で一番霊験あらたかな場所。神様にお祈りして、その祈願に対して与えられる御利益が日本一期待できる場所。

なんとなく伊勢が日本一の霊験所なのではと思っている人もいるかもしれません。たしかに伊勢は天皇家の祖先であるアマテラスオオミカミを祭る日本で最も貴いとされた神社ですが、しかしながら伊勢は霊験、御利益を期待できる場所ではありませんでした。

平安時代末期ころには伊勢の神様と熊野の神様は同じ神様だという考え方がありました。神様は同じだけれども、伊勢と熊野には違いがありました。伊勢は庶民が私的に個人的な願いをかけることを禁じました。それに対して熊野は庶民の願いを嫌わず受け入れました。

伊勢はそもそも天皇家のための神社なので、祈願できるのは天皇家の方々だけで、庶民が伊勢で個人的な祈願をすることはできません。

それに対して熊野は庶民の願いを聞き入れてくれて、しかもその神様は伊勢の神様と同じなので、御利益が日本一期待できたのです。

と、こんな感じのお話をしました。

「み熊野」にしろ「日本第一大霊験所」にしろ、すごい言葉だと思います。ミニレクチャーの続きはこちら

ミニレクチャーのあとは新宿西口思い出横丁にあるお店で懇親会♪

新宿熊野ツアー5 角筈地域センター

新宿熊野ツアーで訪れた場所5つ目は、角筈地域センター。ここの会議室で熊野についてのミニレクチャーを行いました。

ミニレクチャーについてはまた別のページで。こちらのページでは角筈(つのはず)について。

角筈という地名の由来には諸説あるようですが、熊野にルーツを持つ中野長者鈴木九郎にまつわる以下のような説もあります。

中野長者と呼ばれるほどの富豪となり、熊野神社を創建した鈴木九郎は在家のまま神仏をお祀りする修行者となりました。九郎は、修行者の持ち物である角筈と呼ばれる先端部に鹿の角をつけた杖を持って歩きました。そのため、この辺りの土地を「角筈」と呼ぶようになりました。

明治44年(1911年)の地図。写真中央辺りに熊野神社があります。大字角筈の地名も見えます。

角筈の地名は戦後徐々に失われていき、町名としての角筈は昭和53年(1978年)に廃止され、現在では角筈地域センター、角筈公園などにその名残を残しています。新宿区西新宿、歌舞伎町および新宿の一部がかつての角筈でした。