自分へのお土産は巻ぶり!

先日、石川県野々市市に行きました。
JR特急サンダーバードで最寄駅の金沢駅でお土産を購入。自分へのお土産は、巻鰤(まきぶり)!

漁師の保存食から始まった能登の名産品ですが、南方熊楠が田辺の名物として贈答品に使った縄巻鮨(なわまきすし)に見た目がちょっと似ているなと思って買いました。

こちらが縄巻鮨。昭和10年代後半に失われた幻の鮨で、写真はグリル食菜ギャレットさんによって復元されたもの

熊楠の大正10年4月9日付の上松蓊(うえまつ しげる)宛書簡に、

四月の『現代』に、幸田露伴氏、紀州田辺に過ぎたるもの二つ、南方熊楠君と日本一美味の鮨とあり。この美味の鮨とは前日差し上げたる縄巻鮨のことと存じ候。
(『南方熊楠全集 別巻1』平凡社、82頁)

熊楠が田辺の名物として推奨し、幸田露伴が「日本一美味の鮨」と絶賛した縄巻鮨。

大正9年頃に1本3円以上した縄巻鮨ですが、いま販売するなら1本1万円だそうです。ものすごく手間隙がかかっています。

ちなみに今回購入した巻鰤のお値段は2000円ぐらいでした。

石炭紀

世界にまるで不用の物なし。
私が好きな南方熊楠の言葉のひとつです。

世界にまるで不用の物なし。多くの菌類や黴菌は、まことにせっかく人の骨折って拵えた物を腐らせ、悪むべきのはなはだだしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチも三進もならず。そこを醗酵変化、分解融通せしめて、一方に多く新たに発生する物に養分を供給するから、実際一日もなくてならぬ物だ。
(「鼠に関する民俗と信念」『南方熊楠全集』一巻)

現在より3億5920万年前から2億9900万年前までの石炭紀と呼ばれる時代。
この時代、地上では高さ20m〜30mに及ぶ巨大なシダの巨木が大森林を形成し、昆虫や両生類が栄えました。

石炭紀と呼ばれるのはこの時代の地層から多く石炭を産するから。

当時、木を分解できる菌類がおらず、木は枯れても腐りませんでした。枯れた木は腐らずに地中に埋もれ、そこで地熱や圧力を受けて石炭となりました。

石炭紀末期(2億9000万年前)に木を分解する能力を獲得した菌類が登場し、木が腐るようになり、石炭が生成されにくくなりました。

木を分解できる菌類が十分に進化した現在、そうした菌類が生息できないが木は生息できるという特殊な環境の場所だけでしか石炭は生成されなくなりました。

おそらくもう2度と石炭紀のような時代が訪れることはないでしょう。

木を分解できる菌類の登場で、生態系はより豊かになりました。

伊賀流忍術の始祖は

久しぶりに折り紙で手裏剣を作りました。

伊賀流忍術の始祖は御色多由也(おいろたゆや)という人物だと伝えられます。

この人物はじつは、紀元前3世紀の中国・秦の始皇帝の命で不老不死の仙薬を求めて熊野に上陸した徐福(じょふく)その人、もしくはその従者の1人だと考えられています。

熊野に上陸した徐福一行が薬草を求めて伊賀に行き、そこで大陸の先進技術とともに忍術の基礎を伝えたのが伊賀流忍術の始まりなのだそうです。

熊野では徐福が農耕や漁法、捕鯨、造船、紙すき、焼き物の製法や土木、医薬などの技術などの技術を伝えたとされますが、伊賀では加えて忍術も伝えたとされるのですね。

熊野には徐福一行の上陸地だとされる場所が2ヶ所あります。
三重県熊野市波田須町和歌山県新宮市阿須賀