南方熊楠が英訳した『方丈記』をGoogle翻訳で日本語に

南方熊楠が英訳した『方丈記』。
“A Japanese Thoreau of the Twelfth Century”

熊楠の英文からGoogleで日本語に翻訳し直してみたらどうなるのか、やってみました。

冒頭。

流れる川の中で、洪水は絶えず変化しますが、まだプールでは泡が集まったり消えたりしません。私たちのこの世界の多くの男性と男性の住居も同様です。宝石で舗装されたシティロイヤル内では、梁の長さと瓦屋根の高さに匹敵する高低の邸宅と家が永遠に続くように構築されているように見えますが、実際に検索できるものはほとんどありません古代の自慢。ある年、家が全焼し、次の家が再建され、豪邸が廃intoとなり、単なるコテージがそれに置き換わります。居住者の運命は、住人の運命に似ています。彼らが住んでいた場所はまだたくさんありますが、20または30のうち、あなたはわずか2つまたは3つが生き残っていることを知っているかもしれません。朝の死、夕方の誕生。これが人間の人生です。プールの表面にある泡の斑点です。マンは生まれて死ぬ;どこから彼が来るのか、どこへ行くのか?私たちは誰のために耐えるのか、どこから喜びを引き出すのか?住人と住まいは無常のライバルであり、両方とも朝顔の花びらに掛かる結露としてつかの間です。露が消えると、露が遅れる間、花は色あせたままになりますが、夕方には滅びるだけです。

“A Japanese Thoreau of the Twelfth Century” Chapter 1からの自動翻訳

おかしな箇所はあるけれども、言いたいことはだいたい伝わってきます。

大火、竜巻、遷都、飢饉、大地震といった天災・人災を書き記した鎌倉時代の随筆『方丈記』は、やはり時々読み返したくなります。

熊野本宮大社で新型コロナウイルス終息祈願祭

本日3月10日、熊野本宮大社で新型コロナウイルス終息祈願祭が斎行されました。
私は都合で参列できませんでしたが、共同通信社さんの動画でどうぞご覧ください。

疫病にかかり重症となった僧がかつて行った熊野参詣の功徳で快復したという話が鎌倉時代の仏教説話集『雑談集(ぞうたんしゅう)』に収められています。

熊野を参詣された方々にご加護がありますように。

疫病除けの護符

Higo Amabie.jpg
アマビエを描いた当時の瓦版 不明 – scanned from ISBN 4-7601-1785-7., パブリック・ドメイン, リンクによる

最近話題の妖怪、アマビエ。

江戸時代に肥後国(熊本県)に現れたと伝えられている。
弘化3年(1846年)の4月の中旬頃。毎晩のように海中に光る物体が出現していたため、ある夜に町の役人が海へ赴いたところ、このアマビエが現れていた。その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われ、三本足であった。
役人に対して自らを「海中に住むアマビエである」と名乗り、「この先6年間は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。
この話は当時の瓦版で人々に伝わり、アマビエの姿も瓦版に描かれて人々に伝えられた。

アマビエ – Wikipedia

海中から現れ、豊作や疫病などの予言し、その姿を描いた絵は疫病除けの護符となるとされる妖怪。

黒尊仏
黒尊仏

昔は疫病に対しては神仏にすがることくらいしかなかったので、全国各地の神社やお寺で疫病除けの護符が発行されていたのだと思いますが、江戸時代の紀伊国の地誌『紀伊続風土記』には津荷谷村(現・和歌山県田辺市本宮町)の黒尊仏の疱瘡護符が記載されています。

疱瘡は天然痘。今は根絶されましたが、予防法のなかった時代には非常に強い感染力と非常に高い致死率(約20%から50%)で恐れられた感染症です。

黒尊仏の疱瘡護符がどんなのものだったのかはわかりません。
どこかに残っていないかな?