アナキズム研究が専門の政治学者、栗原康氏の一遍上人伝『死してなお踊れ: 一遍上人伝』が文庫化! 予約注文しました!
一遍上人は熊野信仰を全国に広めてくれた鎌倉新仏教の一派「時衆(時宗)」の開祖。
まだ読んでいなかったので、今回の文庫化を機会に読んでみます!
栗原康氏の一遍上人伝が文庫化! 予約注文しました!
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東京五輪の暑さ対策に試作された「かぶる傘」が話題ですが、熊野だったらこれかなー。皆地笠(みなちがさ)、別名、貴賎帽(きせんぼう)。
身分の貴賎に関わらず愛用された笠。、ヒノキ製なので涼しいです。お値段は昔は5,000円で購入できましたが、今だと10,000円ぐらいするのかな?
80年生以上の節のないヒノキを薄く削いで編むものなので、そもそも昔の値段が安すぎました。
昨日5月20日、文化庁により西国三十三所観音巡礼が「1300年つづく日本の終活(しゅうかつ)の旅~西国三十三所観音巡礼」として「日本遺産」に認定されました。
西国三十三所観音霊場、第1番札所の那智山青岸渡寺は明治の神仏分離で仏像仏具が他所に移され、一時は空堂となったお寺です。
明治元年(1868年)明治新政府は神仏習合を禁じるために神仏分離令を発しました。那智でも仏堂を廃しました。社殿に隣接し、西国三十三所霊場の第一番札所でもある如意輪堂は、さすがに取り壊しはされませんでしたが、仏像仏具類は補陀洛山寺などに移され、空堂とされました。
如意輪堂はその後、明治7年(1874)に神社側から独立し、「青岸渡寺」と名を変えて天台宗の一寺として再興しました。
つまり西国三十三所霊場の第一番札所が失われていた時期が数年間あったということです。
明治政府の行った神仏分離は日本の文化・伝統の破壊でした。
如意輪堂は幸い再興することができましたが、「1300年つづく日本の終活の旅」のスタート地点が危うく失われるところでした。