なぜ熊野は日本の聖地になったのか 追記、神仏習合について

なぜ熊野は日本の聖地になったのか、その要因を前回の記事で3つ上げました。

私が考える要因は主に3つ。
1. 京から見て南の果てに位置すること
2. 京から遠いが、なんとか歩いていける距離であること
3. 修験道の一大拠点となったこと

ここで上げなかったけれども、重要な事柄の1つに神仏習合があります。
修験道は仏教のうちの密教と関わりの強い宗教であり、神仏習合は修験道の一大拠点となったこととひとつながりのことです。

ですので前回神仏習合については触れなかったのですが、神様と仏様を一体のものとしてお祭りする神仏習合を熊野が積極的に受け入れたことも熊野が日本第一の聖地となった要因です。

本宮は阿弥陀様の西方極楽浄土であるとされ、新宮は薬師様の東方浄瑠璃浄土であるとされ、那智は観音様の南方補陀落浄土であるとされました。

熊野全体が浄土の地とみなされ、熊野は日本中の人たちがそこに行きたいと憧れる日本の聖地となりました。

平安時代末期に上皇たちを熊野に連れてきたのは修験道であり、鎌倉時代末期から室町時代にかけて熊野信仰を全国に広めてくれたのは時衆という浄土教系の仏教の一派であり、戦国時代から江戸時代にかけて熊野を支えたのは熊野比丘尼と呼ばれた尼僧でした。

神仏習合なしに熊野が日本の聖地になることはありえなかったでしょう。

なぜ熊野は日本の聖地となったのか、3つの要因

4月20日放送の「ブラタモリ#131」で、なぜ熊野は日本の聖地になったのかということをテーマにタモリさんが那智をブラブラ歩いてくれました。

番組は最後、那智の浜を訪れて終わりました。
番組では触れませんでしたが、熊野が日本の聖地となった理由を示す、よい締めくくりだと思いました。

なぜ熊野が日本の聖地になったのか。私もここで綴ってみます。
動画も公開しましたので、ぜひご覧ください。

熊野は日本第一大霊験所、日本で一番霊験あらたかな場所であるとされ、日本中の人たちがそこに行きたいと憧れる特別な聖地でしたが、熊野がそうなったのには複数の要因があります。

私が考える要因は主に3つ。
1. 京から見て南の果てに位置すること
2. 京から遠いが、なんとか歩いていける距離であること
3. 修験道の一大拠点となったこと

3つのうち2つが地理的なことです。
熊野が日本の聖地となったのはまずは地理的な条件に依るところが大きかったのではないかと思われます。

熊野は京から見て南の果てに位置します。
熊野は海に向かって突き出た紀伊半島にあり、そこから先は海です。
熊野が南の地の果てでした。
地の果てはこの世の果てであり、そして、あの世への入り口、神仏の世界への入り口でした。

そして、熊野は京から遠く離れてはいますが、京の人がなんとか歩いていける距離にありました(徒歩で往復で20日程度)。

南の果てに位置したことと、適度に遠い距離にあったことが、熊野が日本の聖地になった大きな要因だと思います。

これらの地理的な条件の次に重要だと考えられるのは、熊野が修験道の一大拠点となったことです。

山に籠って修行し、悟りを得ようという修験者、山伏にとって、地の果てにあり、京から適度に遠く、そして温暖多雨で豊かな森に覆われた熊野の山々は格好の修行の場であったと思われます。

その修験者が上皇を熊野に連れてきました。
修験者が熊野の霊験を上皇(退位した天皇)に伝え、上皇を熱心な熊野信者にしました。
平安時代から鎌倉時代にかけて行われた上皇による熊野詣の回数はおよそ100回です(鳥羽上皇が21回。後白河上皇が34回。後鳥羽上皇が28回)。

上皇たちを熊野に連れてきたのが修験者、山伏でした。
修験者が熊野の霊験を上皇に伝え、上皇を熱心な熊野信者にしました。
度重なる上皇たちの熊野詣のおかげで、熊野は日本の聖地となりました。

地理的な条件2つに加えて、修験道の一大拠点となったことが熊野が日本の聖地となった要因です。
その熊野が修験道の一大拠点となった理由も地理的な条件や地形、自然環境にあると思われるので、熊野の大地、熊野の自然が熊野を日本の聖地にしたということが言えます。

1. 京から見て南の果てに位置すること
2. 京から遠いが、なんとか歩いていける距離であること
3. 修験道の一大拠点となったこと

この3つの他にも様々な事情、様々な物事が絡み合って、日本の聖地としての熊野が出来上がっていったと思われますが、その土台には熊野の大地、熊野の自然があります。

「ちちさま」の紹介動画を公開!

最近、日経新聞の土曜版「NIKKEIプラス1」の「何でもランキング」で「自然のマジック 訪ねたいフォトジェニックな奇岩10選」というのがこの間(2019年3月16日付の紙面で)発表されました。

訪ねたいフォトジェニックな奇岩、珍しい形をした岩。その第1位が、私が住む本宮町にある、ちちさまでした。

ちちさまは、乳の少ないお母さんが願いをかけると乳が出るようになると伝えられる岩。乳の神様、子育ての神様として願いがかけられるお母さんたちの祈りの場がちちさまでした。

有名な観光スポットではないので、たどり着けない方々もおられるようですので、ちちさまへの行き方を動画で紹介しました。ぜひご覧ください。

熊野本宮大社から音無川沿いの道を500mほど遡ったところに「ちごの谷」という谷があります。その谷を100mほど入っていくと、乳子大師(ちごだいし)と呼ばれる石仏があります。

その石仏の上の岩壁には2つの丸い石が並んでいます。それが「ちちさま」と呼ばれる岩で、人が加工して作ったものではなく、天然の岩です。

『紀伊続風土記』という江戸時代末期に紀州藩が作らせた紀伊国のガイドブックのような本があるのですけれども、その本の中の本宮村のページには、

○ちごら石
音無川の上の山中にある。縦4間横6間の石である。
真ん中に乳の形が2つある。
乳の少ない婦人が立願すれば自然に乳が出ると言い伝える。
(「本宮村:紀伊続風土記 現代語訳」より)

というようなことが書かれています。

ここはお母さんたちの祈りの場でした。
粉ミルクのない時代、乳が出る出ないはお母さんにとって深刻な問題で、乳が出ますようにという願いはたいへん切実なものであったと思います。

向かって右の丸石の直径はおよそ46cm、向かって左の直径はおよそ40cm。

ほぼ同じ大きさの整った丸石が女性の乳房のように2つ横に並んでいることは、奇跡的です。

女性の胸は右利きの方なら通常、左胸の方が大きいそうですが、ちちさまも向かって右の、左胸の方が大きくて、自然の造形の不思議を感じさせられます。

各地に「乳岩」などの名で呼ばれる岩はありますが、これほど見事な乳の岩は他にないのではと思われます。

地質学的には、ちちさまはノジュール。堆積岩の中に存在する周囲とは成分の異なった塊です。日本語で団塊と言います。「日本の奇岩百景+」に登録されています。

ぜひお参りいただけたらと思います。

ちちさまについて詳しくはこちら