本日6月1日は昭和天皇と南方熊楠が出会った日

神島

本日6月1日は昭和天皇と南方熊楠が出会った日。

昭和4年(1929年)6月1日、昭和天皇と南方熊楠は、田辺湾に浮ぶ無人島、神様の島、神島(かしま)で出会いました。

神島は熊楠の神社合祀反対運動、自然保護運動の象徴的な場所。

熊野の土地の精霊が人の姿で現われたかのような熊楠と昭和天皇との出会いは、まるで神話のいち場面のようです。

熊楠が初めて神島に上陸したのは、明治35年(1902年)6月1日。田辺に定住する2年ほど前に田辺を訪れてしばらく滞在したときのことです。

どちらも6月1日。偶然なのでしょうが、運命的なものを感じます。

昭和天皇と南方熊楠の出会いから1年後の昭和5年(1930年)6月1日には、神島に昭和天皇の行幸を記念する石碑が建立されました。

碑には「一枝もこゝろして吹け沖つ風 わが天皇のめてましゝ森そ」と熊楠が詠んだ歌が刻まれています。

神島は現在、国指定天然記念物で、島内は立ち入り禁止。上陸する場合は田辺市教育委員会の許可が必要です。

写真は漂着ゴミの清掃のために上陸したときに撮影したもの。

神島

神島

神島

神島

記念碑の裏面には以下のように刻まれています。

昭和五年六月一日建之
新庄村 及
南方研究所

神島の森は熊楠の孤軍奮闘により守られたものではなく、地域の住民たちによる神社合祀に対する奮闘があったからこそ守ることできたものなのです。

『外道クライマー』について集英社インターナショナル様から回答がありました

先日、那智の滝の岩壁を登った3人のうちの1人、宮城公博氏の著書『外道クライマー』について気になる点があったので、発行所の集英社インターナショナル様に意見を送りました。
 
それに対する回答が本日あり、私が指摘した点については「次の版から訂正させていただきます」とのお言葉を集英社インターナショナル様からいただきました。
 
私は事実誤認の部分を指摘しただけですが、熊野那智大社の氏子さんや那智の滝に思い入れのある方などが読まれた場合にはまた違った思いもあり、著者や編集の方に伝えたいこともあることと思います。
 
『外道クライマー』を読まれた方は、その感想や意見を集英社インターナショナル様に伝えてみてはいかがでしょうか。こちらからメールフォームで送ることができます。

4年前の昨日、熊野本宮大社旧社地にて3つの異なる宗教の祭儀が執り行なわれました

踊念仏

4年前(2012年)の5月27日、熊野本宮大社旧社地の一遍上人神勅名号碑前。

熊野本宮大社の神職さん・巫女さんたちと本山修験宗総本山・聖護院門跡の山伏さんたちが立ち会うなかでの、時宗総本山・清浄光寺(遊行寺)のお坊さんたちによる踊念仏。

私が生きている間にはもうないかもしれない、ほんとうに特別な時間でした。

2012年5月27日、熊野本宮大社旧社地にて神道、仏教、修験道の3つの異なる宗教の祭儀が執り行われました。

神道の熊野本宮大社、仏教の時宗総本山清浄光寺(遊行寺)、修験道の本山修験宗総本山聖護院門跡!

中世の熊野信仰の興隆を支えたのが、修験道であり、仏教の一派である時宗です。

石祠から一遍上人神勅名号碑の前に場所を移して、時宗の祭儀。

一遍上人成道の地で踊念仏!

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……

続いて聖護院門跡による護摩焚き。

南無熊野大権現、南無熊野大権現、南無熊野大権現……

時宗管長による賦算。
「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と記した念仏札を配ることを賦算といいます。

念仏札

そのときに時宗管長からいただいた念仏札、今も大切に持っています。