熊野の神様の御息が合気道

合気道国際奉納演武

写真は、今年4月14日、熊野本宮大社例大祭2日目に、熊野本宮大社旧社地にて行われた合気道の奉納演武の模様。

合気道の開祖・植芝盛平翁は、両親が熊野本宮に願掛けをして授かった熊野本宮の申し子です。

植芝盛平翁はことあるごとに「私は、熊野の申し子だ」と言い、「合気道は熊野の大神さまの御息のあらわれじゃ。」と語ったそうです。
http://kumano-world.org/J-Html/their-j.html

合「気」道。

植芝盛平翁もやはり熊野本宮の神様はケの神様だと認識していたのかもしれません。

私はどんな人に熊野に来ていただきたいのか

熊野本宮大社旧社地

どんな商売でもそうだと思いますが、観光でもやはりターゲットというのが大切です。

私はどんな人に熊野に来ていただきたいのか。

これまで自分でもよくわかっていなくてちゃんと答えられなかったのですが、最近、私が来て欲しいのはこんな人たちなのかもというのがちょっとわかってきました。

私個人としては、世の中にはいろいろ理不尽なことがあって、力に押しつぶされて挫けそうになったりもするけれど、諦めずに世の中を少しでもよくしていきたいと足掻いてがんばっている人たちに熊野に来ていただきたいなあ、と。

そういう人たちに熊野に来ていただいて、元気になって帰ってもらって、また元の場所でがんばっていただけたらなあ、と。

熊野本宮の神様はケツミコノオオカミといいます。正体不明の神様で諸説はありますが、私はケの神様だと考えています。

ケとは今でいう気(キ)、生命エネルギーのようなものです。

ケは放っておくと減っていきます。

ケのエネルギーが枯渇するのが「ケガレ」です。

ケのエネルギーが枯渇する前に、ケのエネルギーを充填して元に戻さなければ、生命や体や心の健康が損なわれてしまいます。

ケのエネルギーのチャージをできる場所がケの神様のおわす熊野でした。新たなケを得られることに熊野詣の意味がありました。

訪れる人を元気にして、元の気の状態にして帰ってもらう。

また元の場所でがんばるためのエネルギーチャージの場が熊野なのではないかなあ、と。

気力が少し弱ってきたなと感じたら、あんまり弱り過ぎる前に熊野に来ていただけたらなあと思います。

数ヶ月に1度でも、1年に1度でも、または数年に1度でも。

平安末期の上皇たちはだいたい1年に1度のペースで熊野を訪れました。

写真は、4月初め頃の熊野本宮本来の入口であった西の鳥居の辺りからの見た熊野本宮大社旧社地

 

来ていただいた人たちに元気になってもらう仕掛けが、熊野三山であり熊野古道であり、また自然崇拝の痕跡であったり、神仏習合の痕跡であったり、南方熊楠ゆかりの場所であったり、海や川や山や風景であったり。

あるいは「熊野の神様の御息」であるといわれる合気道も、元気になって帰ってもらう仕掛けになりうるのかもしれません。

こわばった心をゆるめてくれたり、あるいは勇気づけてくれたり。

闘雞神社のトウの字は正式にはこう書きます

鬪雞神社

闘雞神社のトウの字は正式にはこう書きます。
鬪。

ケイの字も鶏ではなく雞という難しい字を使います。

「み熊野ねっと」本館の鬪雞神社紹介ページでは検索してたどり着いてもらえるように「闘鶏神社」と表記しています。

闘雞神社は「南方曼陀羅の風景地」の風景地のひとつとして国の名勝に指定されています。南方熊楠の熊野植物研究の西牟婁郡の分の基点です。

闘雞神社が世界遺産に追加登録なるかどうかの結果は今年7月に出ます。