江戸時代末期のコレラ除け

江戸時代末期にコレラが大流行したときにはオオカミの骨がコレラ除けの呪具として用いられました。そのため多くのオオカミが捕殺され、ニホンオオカミ絶滅の一因となったとも考えられています。

1858年(安政5年)の流行は相次ぐ異国船来航と関係し、コレラは異国人がもたらした悪病であると信じられ、中部・関東では秩父の三峯神社や武蔵御嶽神社などニホンオオカミを眷属とし、憑き物落としの霊験を持つ眷属信仰が興隆した。眷属信仰の高まりは憑き物落としの呪具として用いられる狼遺骸の需要を高め、捕殺の増加はニホンオオカミ絶滅の一因になったとも考えられている。

コレラ – Wikipedia

頂点捕食者の絶滅は日本の森林生態系に荒廃をもたらしました。

間違った情報の共有で取り返しのつかないことが起こってしまうこともあり得ます。

気をつけなければ。

本日3月27日はさくらの日

今日3月27日は「さくらの日」なので、今日のおやつは桜餅。

さくらの日の今日、クマノザクラは花を散らせたものもありますが、まだ咲いているものもあります。そうしたなか他所から持ち込まれて植えられたソメイヨシノが花を咲かせています。

クマノザクラの保全にとって脅威となるのが、開花時期が重なる他所から持ち込まれた他の種のサクラです。

桜餅を包む桜の葉の塩漬けは主にオオシマザクラの葉が用いられますが、オオシマザクラは伊豆大島などに自生する野生種の桜です。もともと熊野地方にはないサクラでしたが、熊野地方に持ち込まれて植えられ、野生化したものも見られます。

オオシマザクラは開花時期が一部でクマノザクラと重なるので交雑の危険性があり、ソメイヨシノと同様にクマノザクラの保全にとっては脅威となります。

クマノザクラを保全するには、いつかどこかの段階で他の種のサクラを伐採する必要があるのでしょう。

下の本はクマノザクラの発見者・勝木俊雄(森林総合研究所多摩森林科学園チーム長)のご著書。クマノザクラについても触れています。

本日3月26日は鉄幹忌

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与謝野寛(与謝野鉄幹)
published by 東洋文化協會 (The Eastern Culture Association) – The Japanese book “幕末・明治・大正 回顧八十年史” (Memories for 80 years, Bakumatsu, Meiji, Taisho), パブリック・ドメイン, リンクによる

本日3月26日は鉄幹忌。与謝野鉄幹の命日。与謝野鉄幹は1935年(昭和10年)3月26日に亡くなりました。

与謝野鉄幹は熊野と縁のある人物でした。

大石誠之助からは経済的な支援を受けました。大石誠之助が大逆事件で死刑に処されたとき、その死を悼んで「誠之助の死」と題した詩を書きました。

大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました
人の名前に誠之助は沢山ある
然し、然し、
わたしの友達の誠之助は唯一人。

与謝野鉄幹「誠之助の死

また与謝野鉄幹が衆議院選挙に出るときには西村伊作から選挙資金の一部を出してもらいました。選挙には落選しましたが、その後、西村伊作が理想とする学校の創設に与謝野は妻・晶子とともに協力。与謝野は文化学院では校長を補佐する学監を努めました。