スペインかぜ1回目の流行期の和歌山県田辺町及び山路郷の状況

大正7年(1918年)11月23日付『牟婁新報』
大正7年(1918年)11月23日付『牟婁新報』

スペインかぜ(スペインインフルエンザ)1回目の流行期の和歌山県田辺町(現在の田辺市の中心部)及び山路郷(さんじごう:現在の田辺市龍神村)の状況を地方新聞『牟婁新報』の記事を引き写してご紹介します(不二出版の『牟婁新報〔復刻版〕』第29巻より。読みやすくするため、旧漢字・旧かな遣いは当用漢字・現代かな遣いに変更するなど表記を改めています)。

風邪から鬼籍に入った人数25

本月1日から一昨日21日までに当町において悪性感冒のため肺炎なんかを引き起こし黄泉の客となった人員は25名である。特にこれから大いに働かんとする若手に死亡率が多いのは寒心の至りだ。

大正7年(1918年)11月23日付『牟婁新報』

田辺町では11月の3週間で25名が死亡。同日付の紙面には以下のような記事も。

湯屋休業

悪性感冒流行の上に薪暴騰のため、当町内湯屋業者は先般来寄々協議中なりしが、格別名案もなきにや結局会津橋以東の各湯屋業者は当分のうちいずれも休業の札を掲ぐる事となれり。

大正7年(1918年)11月23日付『牟婁新報』

近隣の山路郷の状況を伝える記事も。

山路郷の感冒 罹病者続出

日高郡山路郷から帰った人の話によると、「悪性感冒は奥へ次々と襲来すると見え、今では山路方面はちょうど草が風に吹き捲られて将棋倒しにこの病に罹り床に臥する者続出する有様で、田辺から出稼ぎしている連中に誰一人として達者な者は無い。私は幸い寝込まなんだのでこいつは叶わぬと逃げて戻ってきたのです」と。

大正7年(1918年)11月23日付『牟婁新報』

今のところ日本でのCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の死亡者数は100年ほど前のスペインインフルエンザに比べたら全然大したことありません。致死率が約20%から50%という天然痘との戦いにすら私たちの祖先は何度も何度も乗り越えて歴史を紡いできました。今回もこれまでのように乗り越えていくでしょう。

ただ今回とくに問題となるのがお金。今はお金がなければ生きていけない世の中なので、収入がなくなれば生きていけなくなります。約3割が貯蓄ゼロ世帯である日本の現状、このままでは多くの自殺者や犯罪者が出るのではないかと心配になります。一刻も早いベーシックインカムの導入が望まれます。

最低限生きていけるだけの所得を政府が国民に保障すれば、この程度の感染症であれば余裕をもって乗り越えていけるはずです。

スペインかぜ予防上の注意(県警察部から各警察署への通牒)

大正7年(1918年)11月9日付『牟婁新報』

スペインかぜ(スペインインフルエンザ)の1回目の流行期に和歌山県警察部から各警察署へ書面で通知された「予防上の注意」を熊野・田辺の地方新聞『牟婁新報』の記事から引き写してご紹介します。『牟婁新報〔復刻版〕』第29巻(不二出版)より。旧漢字・旧かな遣いを当用漢字・現代かな遣いに変更、一部漢字をひらがなに変更、句読点を追加。

読み給え
ますます出でてますます猛烈を極むる世界的悪性感冒予防上の注意
これは県警察部から各警察署への通牒です

一 原因
本病原はインフルエンザ菌なるものにより惹起すれども年々地方流行性に発する感冒というものは肺炎球菌、連鎖球菌、加答児(カタル)球菌等原因となる。

二 病原
所在流行性に来る感冒を起こす前種々なる病原菌は鼻咽頭腔気管支等の分泌物すなわち鼻汁痰等に存在す。

三 抵抗力
日光乾燥等に対し薄弱なり。

四 症状
観戦後一日ないし三日の潜伏期を経て突然悪寒戦慄をもって発熱体温三十八度ないし四十度に達し、頭痛、背痛、薦骨痛(腰痛)、関節痛、肢痛、咳嗽咽喉痛を呈し、その結果腸胃を冒され食欲不振便通不規則となり、遂には肺炎、中耳炎、腎臓炎等を併発し不幸鬼籍に入るものあり。而して一般病状の経過は多くの場合において1週間以内なれども併発病等によりそれ以上に亘るものあり。

五 伝染経路
主として人より人へ直接伝染するものにして患者の気道分泌物(痰等)直接あるいは手指、飲食器具等により接触伝染を為し、また飛沫伝染によるものなり

六 予防法
室内の換気、採光、乾燥を充分ならしめ、被服寝具等は時々日光に曝し、平素規則正しき飲食をなし胃腸の健全を図り、また身体被服を清潔にし、皮膚の抵抗力を強からしめ、便通をよくし、含嗽(がんそう:うがい)をなす等一般抵抗力を強め、かつ夜更かし寝冷えせざるよう注意し、なお感冒に罹れるものを訪問するを避け、少しにても気分悪しき時は早速医師に診を乞うべし。
不幸患者発生の際には飛沫伝染性なるをもって家庭においては一定の室に患者を隔離し、患者の使用したる器具等は怠らず消毒をなし、他の家族をなるべく患者に近接せしめざるを可とす。
寄宿舎、工場等多数集合せる所において感冒者発生の際は迅速に隔離するを要す。

 記者曰く脚気病患者および心臓弱き人達がこの病気に罹ると十中八九は助からぬと言う事ですから御注意が肝要ですぞ。

大正7年(1918年)11月9日付『牟婁新報』

ソーシャルディスタンスを保つとか、外出自粛とかはやっていなかったようですね。

スペインかぜ1回目の流行期の熊野地方の学校の状況

大正7年(1918年)11月7日付『牟婁新報』
大正7年(1918年)11月7日付『牟婁新報』

およそ100年前の1918年から1920年にかけて世界各地で大流行したスペインかぜ(スペインインフルエンザ)。世界人口の4分の1が感染し、世界で推計4000万人が死亡。日本では3回の流行があり、38万人が死亡しました。

ここでは1回目の流行期の熊野地方の学校の状況を田辺の地方新聞『牟婁新報』の記事を引き写してご紹介します(不二出版の『牟婁新報〔復刻版〕』第29巻より。旧漢字・旧かな遣いは当用漢字・現代かな遣いに、漢数字は算用数字に、一部漢字をひらがなに変更、句読点を追加)。

大正7年(1918年)11月7日付

学校と感冒

悪性感冒はますます猛烈の状況にて新宮中学は生徒382名中患者145名の多きに達し、職員中にも8名の患者あり。よって2日より3日間臨時休校を為せり。また同地高等女学校は3日より6日まで臨時休校を為せりと、患者は約30名位あらんと聞く。さて
◆田辺中学は如何と聞くに昨日午前8時には生徒患者数75人あり。
1年 12人、2年 18人、3年 29人、4年 15人、5年 1人
◆高等女学校は幸いにわずかに1人の患者のみなるが、
◆実業学校は昨午後3時まで何らの報告に接せず。
◆田辺小学校は4日は患者142人、5日は218人なりしに昨日午後3時には284人に激増せり。本日から向う4日間臨時休校のよし。

大正7年(1918年)11月7日付『牟婁新報』

大正7年(1918年)11月9日付『牟婁新報』

中学校休業

田辺中学も感冒患者今や107名の多きに達し(内5名職員)、なお蔓延の兆しあるをもって五年級を除く外は来る16日まで全部休業に決せり。5年級のみは今9日より登校する事なるが昨朝喜多幅校医は予防及び療法について一場の講話を為せり。その時の一句、
 インフルはエンサカほいの上り坂 押す人もありひく人もあり
ドウカ押し切る工夫をしたいものなり。

大正7年(1918年)11月9日付『牟婁新報』

スペインインフルエンザは今のCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)に比べたらはるかに感染者数も死亡者数も多いですが、学校は3日や4日、1週間程度の休校で対処していたのですね。

患者の隔離、接触者の行動制限などは行いましたが、感染して生き延びた人たちが抗体を獲得して集団免疫を形成することによってスペインインフルエンザは収束しました。ワクチンや抗ウィルス薬もない時代、それ以外に収束のさせようがありませんでした。