2020年東京オリンピック開催迄あと147日

今日2月28日は東京オリンピック開催まであと147日。

今から32年前の1988年公開の映画「AKIRA」は2019年を舞台とし、そのワンシーンに2020年開催の東京オリンピックまでの残り日数をカウントダウンする看板が出てきます。その看板は「開催迄あと147日」となっていて、「中止だ中止」という落書きが書かれています。

現実の2020年東京オリンピックの開会式は2020年7月24日なので、147日前は2020年2月28日。今日がその日。

前回の1964年の東京オリンピックの開会式では熊野出身の文豪・佐藤春夫が作詞した「オリンピック東京大会讃歌」が歌われました。開会式は10月10日に行われました。

オリンポス遠きギリシャの
いにしへの神々の火は
海を越え荒野(あらの)をよぎり
はるばると渡り来て
今ここに燃えにぞ燃ゆる
青春の命のかぎり
若人(わこうど)ら力つくして
この国の世界の祭

佐藤春夫「オリンピック東京大会讃歌」

2020年の東京オリンピックは、新型コロナウィルスへの日本政府の対応が他国に比べてお粗末なので、もう開催は無理なのではないかと思います。被害を最小限にするためにできるだけ早く自ら決断してほしいと思います。

1940年の東京オリンピックのときも東京は日中戦争のために開催を返上していますので、今回返上すれば2度目の開催返上となります。

二・二六事件で大混乱の帝都で、北一輝と南方熊楠が!

本日2月26日は二・二六事件が発生した日。
1936年(昭和11年)2月26日、陸軍青年将校らが約1500人の下士官兵を率いて政府首脳を襲撃。首相官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠し、永田町周辺を封鎖。斎藤実内相、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害されました。

殺害された斎藤実内相(第30代内閣総理大臣)と高橋是清蔵相(第20代内閣総理大臣)は南方熊楠と面識のあった人物。海軍軍人であった斎藤実とはロンドン時代に出会っており、高橋是清は共立学校(現・開成高校)時代の英語の先生でした。

二・二六事件の理論的指導者のひとりとされたのが北一輝ですが、北一輝と南方熊楠の戦いを描いた伝奇小説があります。

戦国武将の名を名乗るSF作家・柴田勝家氏による南方熊楠を主人公にした『ヒト夜の永い夢』。

熊楠の研究によって作り出された粘菌コンピュータを搭載した自動人形「天皇機関」が北一輝によって奪われてしまいます。
北一輝が動かす「天皇機関」を止めるために熊楠は新たに自動人形「粘菌機関」を作ります。
共に熊楠が作り出した粘菌コンピュータ搭載の2つの自動人形、北一輝の「天皇機関」と熊楠の「粘菌機関」が二・二六事件で大混乱の帝都で対決します!!

本日2月25日は茂吉忌、斎藤茂吉は全く前途の光明を失っていたときに熊野を詣で

Saitō Mokichi photographed by Shigeru Tamura.jpg
斎藤茂吉 (明治15年-昭和28年) 田村茂(明治42年-昭和62年) – 文藝春秋新社 現代日本の百人(1953年刊), パブリック・ドメイン, リンクによる

本日2月25日は茂吉忌。斎藤茂吉(さいとう もきち)の命日。
斎藤茂吉は近代短歌史上に重要な位置を占める歌人で、精神科医。
1953年(昭和28年)2月25日に斎藤茂吉は亡くなりました。

斎藤茂吉は大正14年(1926)8月、斎藤茂吉44歳の折に熊野を訪れ、那智から大雲取越・小雲取越を越えて本宮まで歩いています。

この山越は僕にとっても不思議な旅で、これは全くT君の励ましによった。しかも偶然二人の遍路に会って随分と慰安を得た。なぜかというに僕は昨冬、 火難に遭って以来、全く前途の光明を失っていたからである。

斎藤茂吉「遍路」

その前年の1924年(大正13年)まで斎藤茂吉は精神病学研究のためヨーロッパに留学しており、ミュンヘン大学で博士号を取得し、10月に帰国の途につきました。希望を抱いての帰国であったでしょうが、その船上で茂吉は養父・斎藤紀一の経営する青山脳病院が全焼したとの報せを受けます。留学先で買い集めて送った膨大な書物もすべて焼失しました。

1925年(大正14年)1月に帰国。病院再建に奔走するも、茂吉は「全く前途の光明を失って」いました。そのような精神状態で熊野を詣で、そして翌1926年(大正15年)4月に青山脳病院を養父とともに復興させました。

熊野は蘇りの聖地といわれますが、斎藤茂吉はまさにこの熊野への旅で蘇ったのでしょう。