本日6月1日は南方熊楠が昭和天皇にお会いした日

昭和4年(1929)6月1日

本日6月1日は南方熊楠が昭和天皇にお会いした日。昭和4年(1929)6月1日。熊楠が62歳、昭和天皇が28歳。

変形菌学者でもあった若き昭和天皇は熊楠を尊敬し、天皇自らが会うことを希望し、2人の出会いは実現しました。

出会いの場所は田辺湾に浮かぶ無人島、神様の島、神島でした。

熊楠と昭和天皇の出会いはまるで神話の時代の出来事を思わせます。熊楠の名の意味するところは「熊野の楠」であり、熊楠は熊野の森の精霊が人間の姿で現われたかのような人物でした。

熊野の森の精霊と天皇とが神様の島で出会いました。

昭和5年(1930)6月1日

神島行幸記念碑
神島行幸記念碑(神島は現在、島内への立ち入り禁止。上陸するには許可が必要)

翌年の昭和5年(1930)6月1日には神島に建立された行幸記念碑の除幕式が行われました。その碑には熊楠が詠んだ歌が刻まれています。

  昭和四年六月一日
  至尊登臨之聖蹟
一枝もこころして吹け沖つ風
わか天皇のめてましゝ森そ
      南方熊楠謹詠并書

神島行幸記念碑

一枝も心して吹け、沖の風よ。我が天皇がお愛でになった森であるぞ。

明治35年(1902)6月1日

神島

熊楠が初めて神島に上陸したのは昭和天皇との出会いから27年遡った明治35年(1902)6月1日。熊楠35歳。田辺に定住する2年ほど前に田辺を訪れてしばらく滞在したときのことです。

その日の熊楠の日記。

朝多屋勝四郎氏来り、共に神島に舟遊、予昨夜の宿酔にて身体しっかとせず、木耳等少々とるのみ。

『南方熊楠日記 2』八坂書房

熊楠が神島と出会ったのも、神島で熊楠が昭和天皇と出会ったのも6月1日。熊楠にとっても神島にとっても6月1日は大切な日です。

熊野地方の梅雨の風物詩、天国の光のキノコ、シイノトモシビタケ

梅雨入りしてシイノトモシビタケが見られるようになりました。

熊野地方の梅雨の風物詩である光るキノコ、シイノトモシビタケ。

シイノトモシビタケの学名は、Mycena lux-coeli(ミケナ ルックス – コエリ:天国の光のキノコ)。

その学名は浄土の地とされた熊野に似つかわしく、実際に熊野はシイノトモシビタケの世界最大の生息地帯です。

シイノトモシビタケが発見されたのは東京の八丈島で1951年のことですが、南方熊楠顕彰館の収蔵庫には1903年に那智で採集されたシイノトモシビタケの標本が保管されています。シイノトモシビタケは発見される48年前に那智で採集されていました。

シイノトモシビタケの生息地は熊野の大切な宝物です。

写真はすべて妻が撮影したもの。

シイノトモシビタケ
2013年撮影
シイノトモシビタケ
2014年撮影
シイノトモシビタケ
2014年撮影
シイノトモシビタケ
2015年撮影
シイノトモシビタケ
2016年撮影
シイノトモシビタケ
2016年撮影
シイノトモシビタケ
2017年撮影
シイノトモシビタケ
2019年撮影

シイノトモシビタケについて詳しくはこちら

今日5月18日は南方熊楠の誕生日、国際博物館の日、国際植物の日、そして

田辺市熊野ツーリズムビューローが運営するトラベルショップ「熊野トラベル」

今日5月18日は南方熊楠の誕生日。
熊楠は1867年5月18日(江戸時代最後の年である慶応3年の4月15日)に紀州和歌山城下に生まれました。

5月18日は現在奇しくも「国際博物館の日」であり、「国際植物の日―世界のみんなで植物のたいせつさを考える日―」でもあります。

「国際博物館の日」は1977年に制定され、「国際植物の日―世界のみんなで植物のたいせつさを考える日―」は2012年に制定されました。

どちらも熊楠の誕生日にふさわしい記念日です。もちろん偶然なのでしょうが、なんという素敵な偶然かと驚かされます。しかもそれらが日本国内の記念日ではなく国際的な記念日だというのも熊楠らしいところです。

また5月18日は田辺市熊野ツーリズムビューローさんが法人格を取得して一般社団法人になった日でもあったかと思います。

田辺市熊野ツーリズムビューローさんは熊野地方を「世界に開かれた質の高い持続可能な観光地」にすることを目指して活動している着地型旅行会社です。

田辺市熊野ツーリズムビューローさんが目指す「世界に開かれた質の高い持続可能な観光地」は、熊楠が夢見た地域の未来でもあります。

田辺でも、「働いて儲けよ」と教えて居るが、ここらで働いてナニが儲かるか朝から晩まで働いてもナニほどの儲けもない。先ず働いて儲かって居るのは監獄位のものだ。商売は同商売が多く工業も盛んでなく、今の所格別これぞという儲口もあるまい。ただこの「風景」ばかりは田辺が第一だ。田辺人たるものはこの風景を利用して土地の繁栄を計る工夫をするがよい。今こそかように寂しいが追々交通が便利になって見よ、必ずこの風景と空気が第一等の金儲けの種になるのだ。

「菌類学より見たる田辺及台場公園保存論 (七)」『牟婁新報』大正5年7月14日付

熊楠が夢見たのは、地域にある自然や文化的な資産を保全しながら観光資源として活用して地域経済を潤す、持続可能な観光地づくりでした。観光を柱として地域づくりをすれば、田辺の町は豊かな町となると熊楠は考えました。

……この景色や空気で儲ける策を立てるがよい。行々必ず俺の言う通りになってくるのだ。およそ世の中には、入りもせぬものに入用なものがあり、入用なものに無用なものがある。一時の出金を吝んで将来に入用なものを無用視するは浅慮の至りだ。

前同

この熊楠の訴えから90年の後、田辺市では2006年に田辺市熊野ツーリズムビューローさんが任意団体として設立され、その後2010年5月18日に法人格を取得して一般社団法人になりました。

熊楠の夢の実現を目指す団体が法人になった日が熊楠の誕生日であるというのも偶然のことなのでしょうが、なんという素敵な偶然かと思います。

心置きなく旅を楽しめる日々が戻ってきますように。

2020年以降に出版された熊楠関連の本。↓