神倉神社廃社後のお燈まつり

牟婁新報(復刻版)』第14巻(不二出版)より

神倉神社は神社合祀で明治40年(1907年)に廃社となり、その後大正7年(1918年)に復社を果たしました。その間、お燈祭りはどうなっていたのでしょうか。

神社が廃されたらお祭りも廃されるのが普通のように思いますが、田辺の地方新聞『牟婁新報』の明治45年(1912年)2月7日付の紙面にお燈祭りのことが書かれた記事がありました。

新宮のお燈祭り 六日の夜新宮町神倉山に於いて例年の通り「お燈祭り」を挙行せし由、この祭礼は由緒多き我が熊野にてもここばかりなり、登山者は皆白装束を為し山上にて一斉に松火(たいまつ)を点け社に詣で、先を競うて馳せ下るなり、その様の勇壮にして古雅なる実に熊野人の一大特典として誇るべきなり、然るに肝心の神社は既に合祀の厄に罹り去る。人民これに屈せずかく賑々しく祭礼を行うは大いに注目の価あり

「見たり聞たり」『牟婁新報』明治45年2月7日付

廃社となった神社のお祭りを続けるというのはなかなか難しいことだったと思いますが、新宮の町の人たちにとってお燈祭りは失うわけにはいかない大切なものだったのですね。

神仏が分離され、修験道が禁止された明治時代にあっても、お燈祭りが新宮人の誇りであったことがわかってよかったです。

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