スペインかぜ大流行の折柄、南方熊楠、珍菌を採取

大正7年(1918年)11月29日付『牟婁新報』
大正7年(1918年)11月29日付『牟婁新報』

スペインかぜ(スペインインフルエンザ)1回目の流行期に南方熊楠は珍しいキノコを採取しました。

熊野田辺の地方新聞『牟婁新報』の記事を引き写してご紹介します(不二出版の『牟婁新報〔復刻版〕』第29巻より。読みやすくするため、旧漢字・旧かな遣いは当用漢字・現代かな遣いに変更するなど表記を改めています)。

南方氏珍菌発見

先日当町上屋敷町山本吉太郎氏邸付近を、南方先生通行の際採取したる珍菌は学名リノトリヒヤ・ラコロランスと呼び、45年前英国菌学大家クック博士の発見したると同種の珍菌にして、クック氏以来いまだ何処にても探収せしを聞かざる逸品なりと。先生いわく、感冒大流行の折柄こんなものを取ったので研究に8時間もかかり往生したよ。

大正7年(1918年)11月29日付『牟婁新報』

(追記)
珍菌「リノトリヒヤ・ラコロランス」については検索してもまったく出てこないのですが、どうやら Rhinotrichum decolorans Cooke のようです。この記事を読んでくださった方からメールがあり、ご教示いただきました。ありがとうございます!

同日付の紙面の『牟婁新報』社主の毛利柴庵による「牟婁日誌」にはスペインかぜに罹患した毛利柴庵がまだ完治していないことが書かれています。

27日(晴)
24日の朝からまたまた法螺貝を吹いているが、まだ充分熱が冷めぬ貸して今朝も気分が悪い。暁天の月光を浴びつつ深呼吸を致したところが、横腹が痛い。
9時過ぎまた臥床に入る。川島草堂君来たる。いわく、先日ここへ来てから伝染したと見え3日ばかり弱ったが無闇に酒を飲んでやったら治ってしまった。(中略)
南方大人来たる。いわく、まだ寝ているのか困ったなあ、吾輩も、妻が病気、下女は無し、今年8つになる子供が火をたいているが危なくてなあ。
午後2時過ぎ井川君来たる。「入ったら伝染するかも知れぬが今日は徴兵送りでのう」と。道理で先刻来、賑やかな楽隊がしばしば通った。さすがに壮丁諸君感冒患者も無いと見える。

大正7年(1918年)11月29日付『牟婁新報』

この後、熊楠は12月3日には発熱の症状が出ているので、毛利柴庵から感染したのか、それとも「妻が病気」とあるので妻からでしょうか。