熊野本宮大社宮司による来年の一文字は、咲!

12月23日、熊野本宮大社で年末恒例の宮司による来年への願いを込めた一文字の大筆書きが行われました。

咲

宮司が書いた来年の一文字は、咲!

咲という漢字は、巫女が両手を上げて舞う様子を神々が見てほほ笑んでいる姿が成り立ちとされます。この字の本来の意味は「笑う」ですが、日本では「咲く(花が開く)」という意味でも用います。

笑い、花開く年にしたいものです。

切目王子のものがたり

切目王子のものがたり
『切目王子のものがたり』 ふるさとの歴史を学ぶ会(うらしま会)

『切目王子のものがたり』を見せていただきました。
和歌山県印南町切目の歴史を学ぶ有志でつくる「ふるさと歴史を学ぶ会(うらしま会)」が今年5月に発行した冊子。

平安末期から鎌倉期にかけて成立した切目王子と伏見稲荷大社との結びつきを記す『宝蔵絵詞』の内容を子供にもわかりやすいように紙芝居に仕立てたものを冊子化したものです。

なぜ切目王子は片足になったのか。なぜ熊野詣の帰りに参詣者はきな粉の化粧をしたのか。この冊子を読めばわかります。

切目王子はもともと金剛童子と呼ばれて熊野権現に仕えていたが、あることがきっかけで守っていたお坊さんを殺してしまい、権現から罰として右足を切り落とされ、切目の山に捨てられて切目王子と呼ばれるようになった。
王子は怒りと悲しみから、熊野の参詣者を襲う恐ろしい神になり果て、権現は人々を守るために稲荷大明神に相談。大明神に仕えるキツネの精霊と金剛童子が仲が良く、王子は言うことを聞くようになった。しかし、大明神の信者を見分けることができず、それなら目印に信者の顔に化粧をすればということになり、豆の臭いが嫌いな王子が「きな粉を塗って化粧をした人は襲わない」と約束した。大明神と権現は「熊野から帰る人は顔にきな粉を塗るように」と言い、王子は悪さをしなくなった。このきな粉で化粧をする風習が節分の豆まきの元になったという。

歴史のロマン満載 切目王子の物語が漫画に:紀伊民報AGARA

興味深い内容なので、もっと多くの人に知ってもらえたらよいなと思います。

伏見稲荷大明神に仕えるキツネの精霊の名は阿古町(あこまち)。伏見稲荷大社境内社の白狐社にお祀りされる神様です。

切目王子は熊野九十九王子のうちで別格的な存在です。

鈴木せんべい、いただきました!

鈴木せんべい
 鈴木せんべい

観世流シテ方能楽師・鈴木啓吾さんから「鈴木せんべい」をいただきました!
「紀州藤白 鈴木屋敷」と文字の入った特製せんべい! ありがとうございます!

和歌山県海南市藤白には鈴木姓のルーツ・藤白鈴木家の「鈴木屋敷」がありますが、老朽化して倒壊寸前。

鈴木啓吾さんは鈴木屋敷を知ってもらい、寄付を呼び掛けるために、藤白鈴木家の人物が主役の能で、長らく廃曲となっていた「語鈴木(かたりすずき)」を昨年3月約300年ぶりに「鈴木三郎重家」として復曲上演しました。

復曲能の主役・鈴木三郎重家は平安末期の藤白鈴木家の当主。源義経に従い、奥州平泉で義経と最期を共にしました。

鈴木は現在日本で2番目に多い名字ですが、その始まりは熊野にあります。熊野本宮または新宮の神職に関わる家柄にあった人物が鈴木を名乗ってから始まった名字です。

スズキは熊野地方の方言で、刈取った稲束を積み上げたものを指します。または積み上げた稲束の中央に立てられる1本の木の棒を「聖なる木」という意味でスズキ(ススキ)と言ったともされます。鈴木の漢字はその当て字です。

鈴木氏は12世紀頃に熊野から紀州藤白に移り住み、熊野詣の道中における要所・藤白王子(現・藤白神社、和歌山県海南市)の神職を代々世襲しました。藤白の鈴木氏は全国に散らばる鈴木氏の本家筋とみなされました。

鈴木屋敷について
鈴木屋敷は、平安末期ごろに熊野から藤白の移り住んできた熊野旧三家の一つ鈴木氏が、熊野信仰を広める拠点としていた場所です。
“牛若丸”こと源義経も熊野詣の際には滞在し、敷地内には義経弓立の松の古木が残されていたり、平安時代の「曲水泉」といわれる貴重な庭園などの歴史的に貴重なものが残されていたりします。
建物は老朽化していますが、2021年度の完成に向けて復元工事を行っています。

鈴木屋敷復元の会|鈴木姓発祥の地、和歌山県海南市にある「鈴木屋敷」の2021年度復元完成に向けて活動しています。

【戦国魂 鈴木さんとタッグで再チャレンジ】「鈴木」姓のルーツとされる『鈴木屋敷』を再生・復元し、「鈴木」さんのふるさとを復活させたい!