11月26日は「ペンの日」

11月26日は「ペンの日」。
昭和10年(1935年)11月26日に日本ペンクラブが創立されました。それを記念する日。
日本ペンクラブは国際P.E.N.の日本センター。PはPoet:詩人、Playwright:劇作家、EはEssayist:随筆家、Editor:編集者、NはNovelist:小説家。P.E.Nのいずれかに該当する日本の文筆業従事者によって組織されるNGOが日本ペンクラブです。

基本理念
 国際P.E.N.は、文学・文化に関わる表現とその普及にたずさわる人々が集まる唯一の国際組織です。創立は1921年にさかのぼります。
 日本ペンクラブはその日本センターとして、「国際P.E.N.憲章」に基づき、「文学の普遍的価値の共有」「平和への希求と憎しみの除去」「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念として活動してきました。
 国際P.E.N.も日本ペンクラブも設立の背景には、戦争に対する危機感がありました。戦争に至る社会と世界は、いつ、どこにおいても味方と敵を作りだし、生命と人権を軽んじ、言論・表現の自由を抑圧する――そのことを身に沁みて知った文学者たちが、国境と言語、民族と宗教の壁を越えて集まったのが始まりです。
 私たちは文学と文化的表現に立脚しながら、あらゆる戦争に反対します。いかなる国の核兵器と核実験も容認しません。そして、生命と人権、言論・表現の自由を守るための活動をつづけています。

日本ペンクラブとは

その第13代の会長が梅原猛氏でした(在任期間:1997年-2003年)。

2019年11月6日付 紀伊民報

少し前のことになりますが、2019年11月6日付の紀伊民報さんの記事で、私のオススメの1冊として紹介させていたいたのが、梅原猛氏の『日本の原郷 熊野』でした。初版が1990年。29年前の本です。

私の手元にあるのは1991年の第4刷。その2年後の1993年に私は熊野に移住しました。移住のきっかけのひとつが梅原猛氏の『日本の原郷 熊野』でした。

この本の最後は次の1段落で終わります。

 熊野古道は今はさびれている。もうここを旅する人はほとんどいない。しかし私は、今はもう一度日本人は熊野を想起すべき時であると思う。古代と中世の接点の時に、人はルネッサンスのごとく太古への回帰、自然への回帰の情熱に駆られてこの熊野へ蟻のごとく参った。今、文明は再び太古と自然へ帰ることを要求しているのではないか。また、第二の蟻の熊野詣が始まる時期が来ているように思う。

梅原猛『日本の原郷 熊野』新潮社、119頁

11月25日は日本海軍の重巡洋艦「熊野」が戦没した日

11月25日は日本海軍の重巡洋艦「熊野」が戦没した日。
1944年11月25日に熊野は米空母艦載機の空襲を受け、ルソン島サンタクルーズ湾にて沈没しました。

重巡洋艦熊野の艦内神社は熊野坐神社(現・熊野本宮大社)。

11月24日は「かつお節の日」、かつお節といえば熊野節!

11月24日は「いいふし」で「かつお節の日」。

11月20日の「いいかんぶつの日」でも触れましたが、かつて鰹節といえば熊野節でした。

鰹節が日本で広く使われるようになったのは、江戸時代中期頃からです。

現在の荒節に近いものが作られるようになったのが江戸時代初期。
その製法を開発したのは、紀州印南浦の漁師・角屋甚太郎(かどやじんたろう)で、延宝2年(1674年)のことだとされます。

角屋甚太郎が開発した魚肉を燻して乾燥させる「燻乾法(くんかんほう)」は熊野の浦々にも伝えられ、紀州で作られた鰹節は熊野節(くまのぶし)と呼ばれて人気を博しました。

熊野節の製法は紀州印南浦の漁師により土佐に伝えられ、しばらく熊野節は紀州と土佐でのみ生産されましたが、その後、安房や伊豆、薩摩にも伝えられ、それぞれの地が鰹節の名産地となりました。そうして鰹節は江戸時代中期頃から広く庶民にも使われるようになり、日本料理に欠かせない食材となったのです。

和食の味付けの基本が形作られていく過程のなかで紀州の人たちは大きな貢献を果たしました。