玄峰老師の言葉「今は日本も危い、危い。主となって国家のこの危急の場合を率いていかんならん人たちが…」

昨日8月15日は終戦記念日。玉音放送により日本の降伏が国民に公表された日。

太平洋戦争終結に向けて尽力した熊野・湯の峰(和歌山県田辺市本宮町湯の峰)出身の禅僧・山本玄峰の言葉を紹介します。禅の公案集『無門関』の第十四則「南泉斬猫」についての講義より(読みやすいように現代仮名遣いに改めました)。

今は日本も危い、危い。主となって国家のこの危急の場合を率いていかんならん人たちが、自分自身が危なくて見ておれん。戦争のおこる前に、いろんな事件がおこった。こちらへも何人も葬られておるが、ああいう人が出て来て、わからずやをやる。……まったく危ない。自分の身が危ないだけじゃない。国家が危ない。自分の身のことくらい小さい。このいま大切なときに当って政治家じゃとか大臣じゃとかいって、一体何がわれわれ民族のために、国のために働きよるか。なぜこれくらいのことがわからないかしらんと思うほど情けない。危ないかな。危ないかな。自分一人の話じゃない。猫一匹の話じゃない。それは自分自分がほんとうにひとつ気をつけて、何をいい得ていいのか、何を行ったらいいのか、どういう進路をとって進むべきがほんまかということがほんとうにわかってもらいたい。
(山本玄峰『無門関提唱』大法輪閣、177-178頁)

これは戦後、昭和30年代に語られたお話ですが、今の日本も同じような状況にあるように思えます。

では、何を教化というか。お互いが五風十雨で安らかに、楽しく暮らしていく。十日の一雨、五日の一風というて国を安んじ民を楽します、これよりほかに仏法はない。気候の揃うていくごとくに、互いに相和し、相親しみ合って、そして戦争じゃとか喧嘩じゃとかをやめる、家の中でもコトッともいわんように、玉の盤をめぐるごとくというように、円滑自在にいくようになりたいというのが仏教の本意である。
(前同、179-180頁)

遺書には、

正法興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ。よろしく正法を守り仏法を興すべし。
(前同、寿譜)

と記されていました。
上の写真は和歌山県田辺市本宮町渡瀬にある玄峰老師のお墓。